芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

夫と小学生の子ども二人と豊洲に暮らす大学生活8年目(3年休学)いよいよ卒業制作に着手中の私が、毎日の日々やちょっと思いついたことなどを書いています。ライターをしていますので、記事のコピペはご容赦ください。もし転載するのであればご一報をお願いします。ご質問やご意見などは、メッセージボード、または yurikomorio@gmail.com までお気軽に。トヨスアモーレ!

「卒業式で京都に行った続きはよ!」と思っているでしょう、まあまあそんなに慌てないで。しかし昨日ブログサービスにアクセスできなかったのは一体なんだったのか。ブログサービスというか、ネットに繋がらない感じだった。パソコンもスマホも全然ダメで、うちにはwifi が二つあるけどどちらに繋いでも怪し気だけれどサクサク繋がるフリーwifiもダメだった。まあ昨日はこども食堂の日でなんか書くといっても数時間のことなので丁度いいといえばいいのだが、なんだったのかなあという疑念は残る。

でも今朝になったらいつも通りに繋がって、「豊洲こども食堂」のblogも書けた。しつこいけど昨日は全SNSダメでしたからね、その中で唯一繫がったのがTwitterだった。Twitterが災害緊急時に強いということで、BUDDYスポーツ幼児園では全父兄に推奨して自身もアカウントを立ち上げていたことを思うと、体育会系の組織は情弱とdisったことがあるけれど、もう色々あってそれは私のブログもあるだろうけれどちゃんと調べたりアドバイスしてくれる人なんかが登場したのだろうと思った。珈琲屋の推薦で一期だけ区議会議員やったあのパパもネット屋だもんね、ここの園長と仲良しみたいだからこの人だろうと思う。

先日ウォールになぜかこの人の書いたものが流れてきて、あーどっかでみたことあるから知り合いだわと友達申請したらあっという間に承認してくれて、でもやっぱりやめようと友達から外したりしてごめんなさいね。別にそのままでも良かったかなあ。そうだ、パークシティの自治会長の方のjunjunにも連絡しないといけないんだった。なんでこんなの引き受けちゃったんだろう、やっぱり誰かにお願いしようそうだ!あの人が適任。って、豊洲界隈もママ友ゼロといいつつ、色々と繋がりは出来て色々やりやすくなったのは、なんだかんだブログのおかげだろうと思ったりする。

昨日のこども食堂は今あちらの記事書くために人数カウントしたらボランティアさんは私含めて5名だった。若干少なめといっていい人数なのに、準備は2時間くらいで終わったし、片付けなんか1時間もかからなかった。その合間に「香山リカ講演会実行員会」キックオフを1時間弱出来たし、なんか「豊洲こども食堂」もう私いなくても出来るという感じに仕上がってきたと思う。豊洲にあと二つこども食堂をっていうのもやりたいと言って下さる方が出現し、香山リカさんの講演会も最初はどうなるかなあ、出来るかなあなんて実は思っていたけれど、「じゃあやりましょうよ」という組織の出現により私抜きでも大丈夫ってこれは私いないとマズイだろうけれど、ミーティングもビシバシと進み、「森生さん何かありますか」なんて言われても「えーと私は豊洲で香山リカさんに喋ってもらいたいだけなので後はなんでもいいです」なんて我ながら頼りないわあ。

でも一応私ここではボスな訳だけど、ボスがなんでもかんでもああしたいこれは絶対なんて言っていたら、周りはふんふんときいてくれるかもしれないけれど、「森生ゆり子がやりたいようにやった」「私は指示をきいただけ」なんて思い出になったらせっかくなのに悪いなあなんて思った。以前香山リカさんの講演会やった時がそうだったから反省もある。あの時も「絶対香山リカさんでないとダメ!」と教育委員会や一緒にやるメンバーを説き伏せるというより勝手に突っ走って香山リカさんの事務所にも何度も何度もメールしたりして、香山リカさんからオーケー頂いけたところで周りが「えっ!本当に来てくれるの??」って\(◎o◎)/した頃から色々周りだしたのだった。そこからもあれはこう、こっちはこうしたいと割と我を通したまま当日を迎えた。もう何かに憑りつかれていたようだと思った。

あのあたりからかなあ、一念岩をも通すを実感したのは。香山リカさん講演会大成功で終わった後、すぐに「いつかまた今度は豊洲に来てお話してもらう」と決めていたように思う。それは思うだけでもおこがましいというか、専業主婦のただの夢なんて考えていたので心も封印していたけれど、去年吉祥寺に香山リカさんの講演会聞きに行った時「今度は豊洲でお願いします」とサイン会でお話したのよ。それで「ああそうだ、私そういう夢があった」と思い出した。まだ終わっていないので書いていいか迷ったけど書いてみた。どうぞ豊洲の皆さま、ご協力をお願いいたします。お席300といことで席が足りるかと若干不安ですが、小さな子どもは御膝に、などと譲り合って楽しい会にしましょう。

あの香山リカさんが豊洲に来てくださるんだよ!有名人なんだよ!文化人だけど芸能人といっていい、間近でみられて挨拶も出来るし委員会の人は一緒に写真も撮れる、かも?笑!キャーすごいじゃない楽しみ!盛り上がるなあ、嬉しいな! 

太っ腹な「豊洲こども食堂」は「香山リカ講演会」もちろん入場無料です\(^o^)/

詳細全て決まったら来年度に入ってすぐくらいにあちらこちら色々なところで公開しますので楽しみにお待ちください。当然香山リカさんには既にお願いしてある。すっごく感激したのは香山リカさんやスタッフの方々一通のメールだけで快諾下さったのよ!もうすごく嬉しくて「やるわ!」と奮起できたしすごく勇気湧いた。多分私のブログも読んで下さっているんだと思う。

そうそう、以前豊洲小学校の成人教養委員の枠で香山リカさんの講演会やりましょうとPTAに投げたら、「森生ゆり子が何を言っても無視するように」とLINEで御達しがあり講演会叶わなかったことがあるけれど、小学生の親くらいになると「弱者を慮る」とか「みんなで助け合う」なんて気持ちは消え失せ、もう自分の立ち位置や子どもの出来なんかも確定されるからその中で如何に上手く立ち回るかというのが生活の大部分を占めるようになり、もしかして香山リカさんのお話は耳が痛い感じになるかもしれない。それに豊洲小学校で講演となると体育館にパイプいす並べてって感じじゃない?豊洲シビックセンター大ホールは綺麗で新しいし高邁な音楽家が演奏会やったりするようなちゃんとした舞台、なんだかんだ豊洲小学校の体育館で講演会じゃなくて良かったかもしれないなんて今は思う。

あっ、今思い出したけど今回ボランティア6名だった、書き直さないと。それから振り込みして下さった方がいらっしゃるんだけど、まだ通帳記帳できていないから未確認で記載できていない。これすっごい失礼、インターネットバンキングに申し込みすればいいのにこれも出来ていない。ブログ書く前にやりなさいよと、馬鹿かとアホかと。でもお金数えるの本当に苦手で、外資に勤めていた時はボスの秘書という人が色々私の分も書類書いてくれて、だから出されたのかなあってこの時もすごい事件がいっぱいあって、でも書くと死人が出るというかちょっと書けないかも。

でもさらっと書くと、派閥争いがあって私は片方を倒す重要なネタを持っていて、それを知った取締役が私に目を付け証言させたのよ。ここで私の人がいいというか世間知らずというか、この偉い人に一筆書いてもらって仕事のしやすい部署に異動させてもらえば良かったと今は思う。多分あの会社で一番激務な部署、私が尊敬していた先輩も私がいなくなってから全然関係ない部署に異動されたそうで、私は絶対逃げたなと思ったらその後改心したのかレドモンドに行った。うむ、そうそうそれでいいのよと私は思った。なんていうとどこの会社がわかっちゃうけどもういい。その後なんの落ち度もないのに私は口封じのためか契約を切られ、でもその取締役を呪っておいたら半年後に不祥事でクビになったと聞いてスッキリした。鳴り物入りで引き抜かれたとか聞いていたけれど、話してみたらただのおっさん、全然オーラもなかった。今頃どこでどうしているでしょうね知らんわ。

とまあ閑話休題らしくいらんこともまた書いてみたけれど、大学も無事に、本当に色々な意味で無事卒業できたし子ども達も春休みを迎えるし夫は新しい職場で喜んで働いているせいか大声で喚く頻度がぐっと減ったしこども食堂も順調だし香山リカさん豊洲に来てくれることになったし私は健康で美しい自由な専業主婦、昔あんなに自分はひとりぼっちとか悩んだりくよくよして自己否定の嵐で死にたくなったのは一体なんだったのかと思うようになれて本当に良かったと思う。

何よりひとりぼっちって最高だと気付けたのが嬉しい。昔、村上春樹や田中慎弥は友達いなくて寂しくないんだろうかとか、欲しいと思わないのかなんてお節介的に思ったけれど、自分がそうなってみて割とこういう状況って快適なんだとわかり、それに友達でも同士でも欲しいと思うと出来ないけれど、心で想いを灯していると、気が付いてくれる人が現れるものだと思った。

私のネガキャンに余念のないボスママたち、「打倒森生ゆり子」という炎を燃やしていて、そういう気持ちで繋がった人達、いつもいつも私の噂をしてああでもないこうでもないあそこでみたとかここにいたとか。結局私が気になって気になって仕方ないのかなあ私の噂をしたり嫌がらせするのはまあいいけど、子ども達が困ったことになったりするのは全部あんたたちのせいでしょう。いい加減にしないと「拝啓、魚住雅彦さま」っていう記事書いちゃうわよ。嫌だと思ったらもう私の話するなわかったか!あちこちで証拠掴んでるから言い逃れできないわよ。 化粧品で顔厚くぬりたくっても心が綺麗じゃないと何にもならないって証明ね、もうあなたも会社やめたら?

私が独身で会社員の時、結婚して子どもがいる女性社員というのは総じて全員優しくて気を使ってくれて、お母さんになると女性は母性が溢れて優しい人になるんだと思っていた。なので自分が子どもを産んでママ友デビューする時には何の不安もなかったし、こんな優しい人達のコミュニティに入れるなんて嬉しいと思っていた。いい人親切な人優しい人ばかりだろう、きっと素敵な友達がたくさん出来て子ども達もそういう世界ですくすく育つだろう、特に豊洲が新婚世帯が多く子どもがどんどん生まれる街で、ママ友100人出来るかなみたいな。そのせいか子どもが幼児園に入るまでの公園時代は何もってその時も色々あるにはあったけどそんなに悩むことってなかったような。いや違う、あったなあ。

でもやっぱり一番辛かったのは幼稚園バスで絵に描いたようなボスママがはびこっていた時代、その人に嫌われだしあれよあれよという間にあちらこちらで面白いようにはじかれるようになった。何度も同じことを書いて恐縮なんですが、会社でやると人事考課に響くから会社の外でやったという事なんでしょう。働くお母さんって、子どもが急に熱を出すとか幼稚園学校の用事があったりで会社を休まないといけなくなったりするじゃない、そういう時に快くお休みさせてもらうために、「お互いさま」と言って貰わないといけないので社内や同じ部署の人には優しく親切にしないといけなかったのだろうと今ならわかる。お母さんが働くって本当に大変だと思う。
   
それでも今もし上野娘ちゃんの幼稚園を選ぶ時代に戻れたら、働いて保育園に入れたいと思う。息子が半年だけ保育園に通えたので特にそう思うのだろう。まあ言っても仕方ないけれども。

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じゃーん!いい写真があったので貼ってみた。この方社長になったばっかりの頃はダサいおじさんだったのに今みたらすごいセンスいいイケメンになってる!私のブログ読んで色々反省したのかなあ。今なら佐山さんにも負けてないわよ♡

ということで今日はこれからランチミーティングに行った後に、豊洲で今一番新しく注目のマンション、パークホームズ豊洲ザレジデンスに行く。またいっぱい写真撮って記事に書くから楽しみにしててね!

平安神宮を13時ちょっと過ぎに出て、そこからバス亭の場所がわからずちょっと迷ってしまった。来た道を戻って同じバスでいいのか、でもgoogle がちょっと違う場所を指している。ああでもないこうでもない、平安神宮のTSUTAYAの前に戻ったり駐車場で案内をしている方に聞いてみたり。もう一回検索しようとぐぐるとやっぱり違う場所が出る。怪しいけれどその通りにまずは行ってみようと行けば、果たしてそこにバス停があった。もうわかりにくいわあ。バス停に立つと何か気温がぐっと下がってきたように感じて、ダウン長い方を着てくれば良かったと後悔したくらい。なんだか雨っぽい雪みたいなのが降って来て、ダウンの黒い袖に落ちたのをみると雪の結晶っぽい形がみえた。寒いわあ嫌だわあとバス停の椅子に座って落ち着いて考えたら、「ああ!これが細雪?」とはいえ、もう少しハラハラと降る目に見える感じだからちょっと違うわねと思いつつ、「『細雪』ごっこをしていたら細雪が降った」などとニマニマしてしまった。

バスに乗って10駅ほどで到着。どこもかしこも割と近い感じに思ったのは、あちらこちら寄ったせいもあるけれど、以前ブログに「京都駅からバスで1時間」と教えてくれた人がいて、そんなに遠いなんて勘弁してくださいなんて思い、なので面倒で益々京都での卒業式なんかに行きたくないと思ったものだった。でもこうして風の向くまま気の向くままあちらこちら見物して楽しみながらの移動なら、そんなに大変ではないということか。計画性がないとか行き当たりばったりとか人生なめてると言われる私だけれど、ちゃんと最短二年で卒業したし予定通りの時間にちゃんと大学に向かっているわ、順風満帆じゃない。そしてバスは京都造形芸術大学の本校舎に到着。バス停の名前は正式には「上終町京都造形芸大前」になってる。

文句ばっかり言って申し訳ないですけれども、バス停の名前を「京都造形芸術大学前」にしてもらってください。でないと乗り換え案内とかで検索するとバス停が出て来なくて困ることがあります。それから京都館で貰った京都の地図には様々な大学が全部書いてあるのに、京都造形芸術大学だけ記載されていないんですよ!これも載せてもらうようにした方がいいと思います。



ということでジャーン!敵の陣地に到着。これもHPでみた通り。威風堂々とした立派な校舎。なんだかパッとみた感じパルテノン神殿にみえるのは神がいるからなのか、私のような紙が入っていいのだろうかと思った。でも今日は「卒業研究発表会」という大義名分があるので誰も咎めまい。思ったよりも普通のところにあったのでちょっと驚いた。なんていうか、地図であたった感じだと山の中にどーんというイメージだった。でも普通にお店もコンビニもあるし、交通量も多い街とはいえないけれど町な感じ。周りに住宅もたくさんあるし、この近くに住んで大学に通ったらあまり「京都に住んだ」とはいえないなあなんて。京都といえばやっぱり四条河原町とか祇園、でもあの辺は家賃高そう。    
   



そうは言っても山の中腹斜めににそびえるせいか階段が長い。転んで怪我しないように昇降しようと気を付けることにした。奥にみえるバス停が京都駅に行く5番のバスが出ます。写真にうつってないけど50mくらい手前のバスが3番「市役所前」とか「三条」に行くバス。うーんだいぶ交通網も覚えた。車じゃないなんて大丈夫かなあと心配したけれど杞憂だった。こうして写真みるだけでもう懐かしいわね。つい一昨日ここからバスに乗ったとか、学友が優しい人がいて嬉しかったとか色々思い出す。   



「人間館」一番中心になる校舎らしい。この建物4階で文芸コースの「卒業研究発表会」があった。   



ロビーにカフェがあり、その周りに色々な学部の作品が展示してあった。文芸コースは一番奥の目立たないところにファイル立があり、その中にクリアファイルに入れて作品が展示、というかおいてあった。写真忘れたけど、文芸コースってやっぱり目立たないのね。「文芸コースただでさえ人が集まらないからブログに色々書かないでね」といった学友の言葉を思い出した。


 日本画、洋画、陶芸コースの作品が展示してあるホール。




ここかあ「春秋座」明日卒業式やるので場所を覚えた。ここで都をどりやるなんて、舞子さん芸子さんたち移動も大変だし、第一着付けやお化粧どこでやるんだろう。やはり置屋でやるのかな、移動はどうするんだろうと気になった。あーみてみたい都をどり。昔京都来た時に「祇園コーナー」で京都の伝統芸能は一通りざっくりとみたけことはあるけれど、やっぱり都をどりは別格だろう。何より誰かに「一年に一度都をどりを観て、一年また頑張るという友達がいる」という話を聞いて、そんなにいいんだーとちょっと悶々としてしまった。京都の先生達はもちろん観るんだろうな、学生さん達も。東京から行く人も当然何人かはいると思う。はあ、どうして私専業主婦なんだろう。もっとバリバリ働いて稼ぐ人になろうと決心。でもここじゃなく観るなら祇園でみたいな。



「春秋座」入り口横にチケットセンター。「吉田兄弟」のチラシなどがあった。公演があるんだろうな。
   



「卒業制作発表会」まであと15分あったので急いで学生食堂へ。私は社員食堂とか学生食堂が大好き。武蔵美時代も食堂で食べるのは「MAUランチ」だった。せっかく京都まで来たんだから絶対食べてやると思っていた。でもここの学生食堂、外の急な階段をだーっと登らねばならず、急いでいた私にとってはきつかった。またまたどこにあるのかさっぱりわからず、しかし「一念岩をも通す」の一心で到着。
   


白身魚フライと唐揚げ定食と、チキン南蛮の3種類で迷って白身魚フライにした。
   


念願の学生食堂ランチ、あと10分しかないというのに「聖護院大根の煮もの」を頼んでしまった。普通に美味しかった。


食堂からは一度一階に降りてまたカフェ前のエレベーターに乗り4階へ。そこから渡り廊下を進んでいよいよ教室へ。


一番奥右手の教室が会場だった。東京外苑の授業いつも広い教室ばかりだったので、手狭に感じるくらいの広さ。

教室内でなんだかお写真は憚られる気がして撮らなかったけれど、だいたいこんな感じ。まず適当に来た順から席に座ったのか、前の方の席から埋まっていた。私が教室に入ったら既に始まっていて司会の寒竹先生が今日の流れを説明していた。教室はNA405教室。ひとり10分話し、その後3分質問タイム。発表する人数は先ほど書いた通り11名。先生は6名、N先生はいない。私は3番目で間に会って良かったと思った。

最初は京都の生徒さん、もちろん初めてみる方。二人目は東京の方で、しっかり研究インタビューなどもされたという濃密な作品、調査対象への愛というか熱量たっぷりで、いつまで話しても尽きないという感じだった。その後が私で何も話すことを考えていなかったので少々戸惑ってしまった。でも話始めたら自分の作品への想いが沸き上がり、卒業制作をしていた時や面接授業など様々な出来事が思い出され、時間いっぱいまで話した。リビングジョナサン、10万字書いて6万字に減らしたこと、しかも全部delete して一からやり直してきつかったこと、でも10万字書いたものを捨てたのは大変だったけど全然惜しいと不思議と思わなかったなど。

あとは何を話したかなー自分の話は忘れてしまったけれど、そうそう創作が佳境に入ると物語が勝手に動き出したこと、それを必死で追いかけて見て文字にした話などもした。でもこの話は作家にはよくある話で、「何かが降りてくる」なんて表現されるけれど、物書きからしたら珍しくもなんともない、ほとんどの人がそうだと聞いたことがある。でも自分で体験してみてそういう気質が備わっているというこは、少なくとも創作する力は多少なりともあるのかなと思ったりした。それからやっぱり「そろそろ何か賞が欲しい」なんて話も。あちらこちらで芥川賞欲しいとりたいなどと言い散らかし、結局口だけだったとはやっぱり思われたくない。それにこんなにお金かけて大学を卒業までして元はとりたいと思った。

ちなみに今日は夫が家にいるけれど、やっぱり「京都なんか行って無駄使いして」と目茶目茶disられた。ふん、私のSNS全監視しているくせに、しかも嬉しそうに知ってるんだよ。なのにこの言いよう。こう言われると思っていたから京都行きの費用は全部家計から出した、当然でしょ?専業主婦なんだもの。いくばくかあったへそくりも、ほとんど大学の費用で消えたしね。二年で卒業できて本当によかったと思った。

さて発表会の続き。ボスママとモアイは割と前の席にいたけど私が発表している間ずっと下を向いてこちらを見ようともしなかった。多分この人達これから二日間で続く様々なイベント私を全無視するつもりだなと思ったら、やっぱりそうだった。ボスママは「これらかもずっと書いて行きたい」と言っていて、「だってあなたライターだから当たり前でしょう?」と思ったけれど黙っていた。入学して初めて会った時はうつむき加減で自信なさそうにしていたのに、卒業までの間に堂々と話すようになったと感心してしまったけれど、これ多分私のせいだと思う。

ライターを始めるにあたり、色々基本的な話など聞いて、その人を師匠と呼んで持ち上げた。私の悪い癖なんだけど、ちょっとこちらに敵対しそうな人、軽んじられそうな人はちょっと上にすえてあげる癖がある。結構屈折したところのあるその人は、なんていうかいつか私の敵にまわるんじゃないかと思っていて用心した。まさかおおえかのせいでこうなるとは思ってもみなかったけれど、自分の担任をdisられて気分がよくないのはわかっていた。でもなんとか学友としてのスタンスは保ちたいと苦心していたけれど、文芸フリマのために描いたイラストをあんな風にけちょんけちょんに言っているとは思いもしなかった。それが露呈してその時はいいよいいよと言ったけど、思えばあれ以前からわたしを良く思っていなかった。もしかしたら最初からそうだったかもしれない。そういう訳でボスママの発表は色々な意味で内情を知っている私からしたら、「うそつけ」という要素山盛りだったけど、京都の人や見学者には受けていた。

10分休憩。その時卒論を控えて来年度卒制する人や、いつも誰とも話さないと思っていた人が「発表よかった」とわざわざ隣に来てくれて言われて嬉しかった。この人こんな風に意見いうんだとビックリした。しかしこう言われてほっとしたし、卒制のための来た人と別件で色々話をしていたら気持ちがほぐれてきて、ボスママモアイ以外の人達と色々話ができた。

休憩の後は後半に続く。その時教室の入り口すぐ近くに座って居る私に、この二人は挨拶どころか目もあわされなかった。でも私もこの二人に対して最後の方は疑念だったり不満があったのでもう無理だなと感じていたからほっとしたところもある。でもまさかこんな風にあからさまに空気扱いされるとは。「自分が悪いんでしょ」と言われたら、そうかもしれないけれどそうではないと言いたい。本当に腹の立つことがいくつかあり、私は大概のことを我慢して受け入れてきた。そうこうしているうちに、だんだんだんだん彼女は野心を抱くようになったのだと思う。

私が「大学の先生になってください」と言ったjunjunパイセンと同じく彼女にも「大学で先生やったら」と言ったことがある。でも今は全然思わない。こんな大人気ない態度、しかも大学を卒業するという最後の最後にだ。あまり書くとこの人はすぐ泣いて人に同情を買おうとするから始末に悪いのだけれど、ちょっと人としてどうなのということが何度もあった。junjunパイセンはいつも真っ直ぐだった。だから先生になってくれたら東京文芸の奇抜さが薄まるだろうと期待してそう言ったのだ。ボスママが先生なんかしたら、私情で点数をつけたり生徒を叩いたりするだろう。私は大反対ですよ、しかもキャリアもスキルも何もないただのかまってちゃん。junjunパイセンとは雲泥の差がある。

現にボスママというのは私に親切な人とか話している相手をわざわざざあっと巻き込んで「ぎゅっと固まって楽しそうにしてそこにいるたったひとりを居心地悪くさせる」というのをやるわけで、「やっぱりボスママだわ」と思った。以前私がボスママはこういう事をするとブログに書いたら、「私も経験ある」と言っていて、なのにわかっててやるんだと思った。こういう人は大学の人間関係や人の背景をすごく知っている。なので仲違いすると、そういう情報が全く入って来なくなる訳でそれだけは不便だと思う。どうして知ってるのというような事まで事細かに知っていて、その情報網のおかげでブログに色々書けたともいえるが感謝はしない。そして京都で力のありそうなというか押しの強そうな目立つ生徒とさあっとまみえお互いをほめちぎりあっていて、本当にこういうのどこで覚えるんだろう、私ってそういうの全然ダメだなあとか、もうこの年まできたらこのままで生きるしかないとか思った。

ちなみに私の「ボスママ」定義は、最近は子どもがいなくても独身でも「ボスママ」みたいなことをする人はみんなボスママ、「お局」と言い代えてもいいかもね。

ということでまた文句たらたら書いてしまったけれど、卒業制作発表会はそんなに目新しい発見も感動もなく、それぞれの生徒が話したいことを話すという語り場だったように思う。ちょっとーと思ったのが、私が賞とりたいと言えば「賞とか関係なくただただ書き続けたい」とか、「読み返したくなる作品を書きたい」といえば、ボスママと慣れ合う人が「さきほどの方の話にあった読み続けたい作品だと思います」とボスママの作品を比喩られ、もともと言葉に対して敏感で細かいところのある私は、自分の言葉をこういう風に使われるのが一番嫌いで、それがボスママまわりで慣用句のように使われてすっかり気分を害してしまった。本当に文芸の生徒ですらこの有様、言葉を紡ぐという本質が全然わかってないと思う。もしわかっててわざとやったなら最悪。多分そうかもね、今までもそうだったから。何かというと「そんなつもりなかった」と言うけれど、じゃあどんなつもりだったのよと言えば喧嘩になるので言わなかった。でももう最後の最後に不満が吹き出し自分の感情をどうすることも出来なくなり苦しくなった。

最後に色々な先生が講評をしだした。東京の先生はひとりもおらず、京都の先生達ばかりで京都の生徒の作品の話が多かった。ますます「もういい」と激おこになってしまった。もう大学までこんなことになってしまったが、もとはといえばやっぱりおおえかが原因。あの人が私を攻撃しだし、私は先生なんだし我慢していた。でもN先生まで巻き込み嫌がらせをしだし「もうやったる」と思った。そこから様々な生徒達まで巻き込まれ、ある人は大怪我ある人は大やけどあるひとは、、、という大惨事になった。あの人が私の何が気に入らなかったのか今ならよくわかる。そういうの、人間だったら誰しもあると思うけど、先生になったら絶対やっちゃいけない。

大学の先生って、教員免許が必要な訳でも学歴がうんぬんとかもない。でもだからこそ人格がちゃんとした人じゃないと困るんです。大人になっても私たち生徒なんですよ、先生達のいうことは基本ちゃんと聞くという教育がなされている人達ばかり、それを盾にしていいたい放題やりたい放題は如何なものかと思う。まずこんな風に「イジメを率先してやる」というのは全く資格なし。今文芸コースに残っている先生達は少なくともそうじゃないと信じたいですね。京都の方は知らないけれど、京都は京都でイケズの御膝元、色々あるのかもしれない。



ということで発表会が終わって大学前のバス停から「三条」まで来て鴨川にかかる橋を渡った。すごく寒いこんな日もカップルが等間隔で座って居て、鴨川の河川敷に並んで座ると愛が深まるというジンクスでもあるのだろうか。いいわね、若いって。この後今度は「豆水楼」という豆腐懐石のお店で懇親会がある、座る席に気を付けないと酷い目に遭いそうだなと考えて、こういう厭な予感って当たるのよねと思ったとおりの展開になった話は次号を待て。      



今回の京都旅行で気が付いたのは、私は谷崎潤一郎が好きだということ。「好きな作家は?」と聞かれるといつも困る。その作家が本当に好きなのかどうかなんて、正直わからない。その作家が好きというなら、その方の書いたものは全部好きかと言うとそうでもない。例えば村上春樹だって好きだけれど作品全部好きかというとそうでもない。彼のファンタジーっぽい作品はあまり好んで読まないけれど、エッセイとかルポルタージュとか、河合隼夫、小澤征爾の対談集なんかは人選の趣味がいいと感心するし、逆に彼へのインタビュー集なんかは秀逸で、読み込むまではいかないけれどいつも手元に置いておきたいと思わせる何かがある。じゃあ村上春樹は好きな作家でいいわね。あとは林真理子さんは鉄板、桐野夏生、辻仁成、川上未映子、山本文緒、えーとそれから。

でもちょっと前、特に昭和初期からそれ以前あたりの文豪となると、私の中では「文芸」ではなく「歴史」ととらえる傾向があるので好きも嫌いもない感じ。だって教科書に載っている人ばっかりじゃない。楽しむより「学ぶ」とか「覚える」ものだと認識しているせいかもしれない。国語の教科書に切手の大きさくらいに載っている著者の写真なんかは、全員メイクしてコラージュしたせいか、今更こんな風に大学でまた学ぶというのも申し訳ないような。太宰治はベディちゃんのような髪型が意外に似合ったなんて覚えている。

そんな訳で「太宰が好き」とか「寺山修二サイコウ」などと言われてもピンと来なかった。というか、ほとんど全員同じ立ち位置でこちらを見ているという感じ。近寄ってきて話しかけてくる訳でもない、遠くにいってしまって見えなくなることもない。唯一太宰治が夢枕に立った時は焦ったけれど、わざわざお墓にお参りして「すみませんけど困りますから」と言いにいってから来なくなったのでほっとした。でもまた身近なところで太宰の熱狂的なファンという方が登場し、桜桃祭にいつか行きましょうなんて話が盛り上がり、太宰、一体どこまで私が好きなのと思ったりした。

申し訳ないけどその頃の作家で好きな人いない代わりに苦手三大作家というのが私の中にあって、「太宰治」「三島由紀夫」「村上龍」がその御三家。最後の方は現代作家だけど、同じ昭和の時代ということで入れていいことにする。この方々気持ち悪い作品ばっかりでしょう?亡くなった方たちはちょっと訳アリっぽくて怖いし、出来れば読みたくないという作品ばかり。太宰治なんてメソメソくよくよ死にたい死にたいってあのね、あなたお酒飲みすぎなのよ。すっぱりやめてちょっとその辺ランニングでもしたらいい汗かいてスッキリしたのになんて思ってしまう。

三島由紀夫は『金閣寺』くらいしか知らなかったけど、大学の授業で様々な話を聞いた時は、「いやーこんな授業受けてたら死にたくなる」と、気分が悪くなり途中で30分ぐらい抜けさせてもらったくらい。盛夏っていうのも気持ちが下向いた原因だったかもしれない。村上龍は『コインロッカーベイビーズ』赤ちゃんをそんなところに。それもそういう事件が実際にあって題材にしたらしくて余計に怖くなってしまった。私の現在の閉所恐怖症はこの作品のトラウマといっても過言ではない。昔村上龍ともネットで喧嘩になり、それをネタに彼は一作品書いた。その時の色々もまだくすぶっているのかも。これ、どこかに書いたなと思ったら、NewsPicksのコメントで詳しく書いたのだった。あそこにはブログ以上に細々と書いたからバンされてほっとした。もう誰にも読まれたくないので二度と私のアカウントを復活させないでください。ということで、そんな感じ。

でも今回京都に来ることになり、ネットを色々ほじっていて寒竹先生のブログにいきついた。HPがあるのは知っていたけれど、私って基本的に自分にしか興味がない人だから人のHPやblogってほとんどみない。2ch など掲示板なんかも好きじゃない。でも京都に行くなら神社仏閣と思っていて、先生が『神様に会いに行く』という連載をされているのを読んだら面白かった。丁度私が行きたいと思っていた平安神宮も紹介されている!やった!これを読んだから平安神宮に行きたかったのよ。その前に京都のフライングカフェでも訪れたようで京都造形芸術大学通信文芸コースのFacebookや 大学のHPでも記事になっていた。もう行くしかない!!

谷崎潤一郎という作家、大学に入る前は正直この人も苦手だった。何よりまず、テストに出そうなイメージ、「この作家の作品を三つ書け」なんて問題があったら、川端康成と間違えて『雪国』って書くよなあだって『細雪』と極似じゃない?ええと谷崎潤一郎谷崎潤一郎、吉行淳之介とも間違えないようにしないとなんて思ったり。あとはちょっとエロスというか、ちょっといっちゃってる愛憎劇がなんか苦手というか、拒否したくなるようなねちっこい倒錯的なものは自分の記憶に残したくないと思ったりしていた。

でもよくよく考えたら、谷崎潤一郎の作品は私ほとんど読んでた。とはいえ作者が谷崎潤一郎って全然気が付いていなかったかも。『痴人の愛』『卍』『吉野葛』『春琴抄』そしてなんといっても『細雪』、これ、京都行くまで真剣に川端康成か谷崎潤一郎か大学で習ったはずなのに混同していた。『細雪』大好き。以前ブログで着物の事を書いた時にも『細雪』の着物の話を書いている。読んだのはまだ私が娘っ子の頃だったと思う。自分も三姉妹なので女ばかりの楽しみしがらみ困ることなんかちょっとよく似ているなあなんて思ったような覚えがある。「もう着ない」宣言をした着物、着ないけど好きでよくもまあこんなにという程持っていたくらい。物語の中で着物の話が出るとぱっと気持ちが弾むのがわかる。

そんな『細雪』の聖地は多分船場だろうけど、京都に物語の舞台になった場所があるなんて知らなかった。しかも京都のフライングカフェだとう?行きたくてもいけないじゃない、だから東京にいて京都の大学っていうのは困るのよなどと思っていたけれど、今回卒業式に行くことになり「じゃあ自分も行けばいいじゃない」と閃いた。



バスを降りて5分くらい歩いた。正門に到着。



本殿、左右の樹に注目。左が橘で右が桜、ああーだからお雛様の飾りもそうなんだと納得。大発見をしたように思えて嬉しくて興奮してニコニコしてしまった。いつもどっちが桜で橘か、もう何十年も愛でたり飾ったりしているので感覚的に間違えはしないけど、お雛様と言えば京都、そしてここ平安神宮が元なんじゃないかと思った。本当にそうかどうかわからないけど、もうしっかり覚えたし「平安神宮もそうなのよ」と来年お雛様を飾ったら娘に教えてあげよう。

 
近くで撮った。   
   

桜はまだ固い蕾だった。それよりもっと他に写すものがあったでしょうと思うというくらい、右桜に左橘の写真ばっかり撮って、よほど嬉しかったのだろうと他人事のように今は感じる。   

 
さあ、いよいよ『細雪』ごっこの始まりよ!

keidaizu2014
平安神宮境内図

枯れ木ばかりでちょっとガッカリ。その代わりにガラ空きだった。おばさんのグループとか大勢の団体客とかいないからこれはこれで良かったかもしれない。


これかあ!ブログの写真の通りじゃないと嬉しくなった。もちろん渡った。思ったより石と石の間隔が狭くて渡りやすい感じ。



 
   
   
青空文庫になかったので無料のkindleをダウンロードしてスクショ。(旅行行く前はなかったのに今みたらあった!すさまじい勢いてアップされている。作品数がほんの数日で6→21になってる。青空文庫の耕作員って何人くらいいるんだろう?)谷崎潤一郎は亡くなってから今年で50年なので、パブリックドメインの仲間入りを果たして無料で公開されている。今後は彼のほとんどの作品が公開されるかと思うと少し切ない。自分が亡くなってたったの50年で無料になってしまうなんて、諸行無常だ。かといって、よい文学作品をいつでもどこでも読めるというのは「教育」という意味では喜ばしいことである。私もこれからたくさん作品を書くつもりなので、長生きしないとなーなんて思った。



「栖鳳池の東の茶屋で茶を飲んだり」と出てくる茶屋。みたらし団子かおでんが食べたかったのに無かったのでお茶も飲まなかった。でも今ここに座ってお茶くらい飲んでこれば良かったのにと大後悔している。私の馬鹿ー 何しに行ったのよ  とにかく時間がないと焦っていたせいか。



桜は咲いていないけど梅が綺麗だった。いいお天気。



『細雪』の姉妹たちがこの橋の上から鯉に餌をやった「泰平閣(橋殿)」   




さあ、いよいよ鯉に餌やるぞーと思ったらどこにもお麩の販売がない。



ごめんよ、お麩売ってると思ったらなかったんだよ、家にいっぱいあるから持っていけば良かった。今度は絶対。 
 

Tweetしておくと、後で何時くらいに行ったのかがわかって便利。この時13:03かあ。そろそろ大学に移動しなくてはと思った頃ね。実際この後御朱印をいただき御御籤を引いて、それが「末吉」だったので無かったことにしてもう一回引いたら今度は「大吉」だったので、気をよくして絵馬も奉納した。おみくじを何度も引くなんてって思う人がいるかもしれないけど、ひとり一回なんてどこにも書いてないし、大吉が出るまで引くっていうポリシーの人がいてもいいと思う。神社だって儲かって嬉しいに決まってる。しかし最初に引いた「末吉」のおみくじですっごく気になることが書いてあり、一体どういう意味なんだとひっかかってずっとずっと考えてしまった。その答えは旅の最後にわかることになる。

ともかく今度から好きな作家はと聞かれたら「谷崎潤一郎」と答えたい。でもこれはこれ人々のいらぬ誤解を招くことになりそうな気がする。好きなものは好きでいいという気持ちもあるけれど、以前のレポートのこともあるし、今書いている小説の内容的にも「やっぱりそういうの好きなんだ」と思われたら困る気がする。要検討。

一泊二日で京都に行ってきた。本当は二泊三日、出来れば三泊四日にしたかったけど、春の三連休のせいかホテルが空いていなかった。そもそも二泊の予定でとったのに、何を勘違いしたのか一泊しか予約できておらず、同じところで二泊したかったのでキャンセル待ちを狙っていたが、とうとう最後まで空かずじまい。その近くのホテルで割とお得なお値段のシティホテルがあったのでいったんはキープしたけれど、一泊目のホテルの後に別のところに移動する、しかもどんなところかもわからないところに泊まるのは嫌だと結局一泊だけになった。チェックアウトの時も、荷物を取りに夕方行った時もキャンセルが出ていないか聞いてみたけれどダメだった(しつこい!)もうこれは一泊で帰りなさいと何かが教えてくれているんだと思うことにした。多分一部屋くらいなら空いていたんじゃないかと思う。私が予約したのは夫の会社経由だからいちげんさんではなかった、でも空いているだろう部屋を融通してもらえないというなら仕方ないし、でも邦人契約なのに空きがないと言われるなら本当になかったのだろうとか色々考えた。

というのは、タクシーの運転手さんに興味深いことをきいたから。京都に着いてまずは『六道珍皇寺』に行こうとバス停に行くと長蛇の列、バスの一日券の窓口もどこが最後尾なんだろうという混みっぷり。いつも「タクシーはお年寄りと身体の不自由な人と妊婦さんのもの」と口煩い私だけど、こういう時間のない時は別。さっさとタクシーに乗って移動した。そこでせっかくタクシーに乗ったのだから京都の人間関係を色々聞いてみようと思った。京都の知り合いもいるし、大学の先生が京都なので聞いてみてもいいけれど、京都に所縁のある人や京都の大学で生計をたてているひとは京都の悪口を言うはずがない。なので「全然関係ない人」に一度聞いてみたかったのだ。最初は桜はいつ頃かとか「YOUは何しに京都へ」などという話から、だんだん核心に近寄りさくっと聞いてみた。

「京都にいてなんか嫌な目に遭いませんでしたか」

すると一期一会の間柄と安心してくれたせいか、色々と悔しかったこと、一時は人を信じられなくなったことなど色々色々話してくれて、「当時は何度も泣きましたねえ」などと話してくれる。差し障りのない内容のものを紹介すると、せっかく京都にいるからと張りこんで高級懐石を食べにいった。すると京都に長年いたはるお客と自分の料理が全然違ったそう。同じメニューというのは明らかなのに、食材や出来栄えが天地の差があったそう。あとはホテル空いてないというと、「そういう時は御茶屋さんやそういうところの太いパイプがないとあきまへんのや」だそうで、なるほどそういうもんですねと納得したりした。「まあどこも同じですよね」と言ってみたが、最後まで「京都いうんは他とは違う」と言い切っていた、運転手さんの様々なご苦労が偲ばれて、たった一泊二日でも侮らないように足元をすくわれないように気を付けようと思った。はー怖。

そして京都駅から料金1,010円で『六道珍皇寺』へ。ここは前々からずっと興味を持っていて、京都に行くことがあったら絶対寄りたいと思っていた場所。入学したばかりの年、なんの授業か忘れたけど、このお寺に祀ってある小野篁の説明というか紹介があり非常に興味を持った。小野篁は平安時代の公卿(役人)にして学者で文人、歌人でもあり、文武両道を地で行くような優秀な人物、でもそのすさまじい程の天才気質や、清廉反骨、直情な姿勢は『野狂』と呼ばれたとある。そして夜はなんとなんと「冥界」の役人で、そこに通じる井戸を使って夜な夜な閻魔大王に仕えていたそう。ね?面白そうでしょ。詳しくは公式サイトへ。

小野篁が夜な夜な行っては帰ってくるという井戸、是非みてみたいと思っていたのよ!調べてみると京都駅からそんなに距離もないじゃない、ついでに調べると私の行きたかった他のところもあちらこちら近在している訳よ。大学の「研究発表会」が14時からだからそれまでに色々周りたいと計画。そして京都行の初日から井戸が期間限定で公開しているとあった。スゴイ偶然、小野篁さんが私に「井戸をみせてあげるから」と呼んでくれたような気がした。

朝早いせいか桜の時期でないせいか、門の外から中をのぞくと人気がない。空いているのは大歓迎なので、静かな境内をのろのろと歩く。入ってすぐ右手に小さな建物があり、小野篁さんとその隣に閻魔大王像、京都について初めての祈念なので、京都に呼んでくれたお礼から子ども達のこと、あなたの文才をちょっぴり下さいとか芥川賞お願いしますとか子ども達が健やかにとか後で待つ人がいないせいか、しばらくぶつぶつと色々お願いしてしまった。そこから本堂、といっても普通のお屋敷風な感じの建物で、上がり框からすぐ番台みたいな発券所でその奥がお土産や兼御朱印所になっていた。順路通りに歩いて特別公開の曼荼羅画などを拝見していよいよ井戸を拝見。


小野篁が冥界に降りていったといわれる井戸、近年戻ってくる時に使ったという井戸も発見されたそうで、井戸の横の細い道を奥にいったところにもうひとつ井戸があった。写真を撮りたかったけど、井戸の写真は「縁側からだけ」と注意書きがあったので残念ながらない。こういうのちゃんと守らないと篁さんが見ていて気を悪くされたら困るし。戻ってくる井戸は中に細い管が下に伸びており、その中を小さな電球がずっと続いて奥の奥までみえるようになっていたが、どこまで続いているのか途中で見えなくなっている。本当に地の底まで続いているように感じて感心してしまった。私思うんだけど、小野篁さんは生前は昼間は地上で夜は閻魔庁にいたと言われているが、亡くなった今は昼はずっと閻魔大王に仕え、夜になると地上のこの建物辺りに来ているんじゃないかなと思った。不審者はいないかとか、井戸の辺りを写真を撮った人リストをみてなんかバチをあてるとか。そんな空気を感じてしまった。


 ね?ダメって書いてある。


 六道珍皇寺の入り口、「ここかあ!」と大感激。

右のちょっとしか写ってない黒い建物に小野篁像、閻魔大王像がある。



水琴窟。ひしゃくで水を汲んで下の砂利に撒くと、カラカラコロコロと美しい音色が微かに響きわたる。うーんミラクル。


「黄泉がえりの井戸」の庭全景。左のサンダルを履いて手を洗ってお参りしてから井戸を拝んだ。
      


御朱印をいただく。京都に来て初めて書いてもらう。御朱印だいぶたまったから、閻魔大王に詰問されても天国に行けそうな感じよ♡
   

風情のある提灯。



入口のところにこんなポスターが。上村松園の掛け軸など特別展示もあった。これを目当てに名古屋から来たという方がいて、ビックリしたけどそういえば京都名古屋近かったなと思い出した。私は新幹線ではるばる来たけど、名古屋からだと近鉄特急もあるし、高速使わなくても来られる距離。私はもう違う、今回を逃したら今度いつ京都に来られるかわからない、もしかして人生最後かもしれないなんて考えて、この二日間気合い入れて行きたいところは全部まわろうと決意を新たにした。   

 公式サイトにも書いてあるけれどこちらにも転載。

「「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道(じごく)・餓鬼道(がき)・畜生道(ちくしょう)・修羅(阿修羅)道(しゅら)・人道(人間)・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報(いんがおうほう)により、死後はこの六道を輪廻転生(りんねてんせい)する(生死を繰返しながら流転する)という。 この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境(さかい)(接点)の辻が、古来より当寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口とも信じられてきた。

このような伝説が生じたのは、当寺が平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り(のべのおくり)」をされたことより、ここがいわば「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことと、小野篁が夜毎(よごと)冥府通いのため、当寺の本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていたことによるものであろう。この「六道の辻」の名称は、古くは「古事談」にもみえることよりこの地が中世以来より「冥土への通路」として世に知られていたことがうかがえる。」

こういうの誰が言い出したんでしょうね。こんな面白い皆の興味をひきそうなことを思いつくのは天才と名高い小野篁さんご本人ではないかと思った。冗談のつもりで誰かにこそっと話したら、面白いとあっという間に噂になった。それをまた面白がって井戸から行くとか冥界はこんな風だったとか即興で話したりしているうちに京の都でも評判になったのではないかしら。小野篁さんの時代は平安時代の前期、有名なところだと紫式部の源氏物語が平安中期だからその少し前、夜になると何も見えない真っ暗な時代の京都の人々は小野篁の話に歓喜したのではないかしら。現代のようにスマホもテレビも山盛りの本も何もなかった頃、こういう不思議なお話物語が人々の心で花開いていたのでしょう、文学っていつの時代も営みの潤いなんだなと感じた。

などと文芸コース卒業生らしき締めで次はそのまま歩いて『安井金比羅宮』へ行った。

何故安井金比羅宮なのか。東京八重洲口のヤンマービルの近くだったっけ、h&mの看板の前にある「京都館」でもらった地図を読みこんでいるうちに、六道珍皇寺の近くに安井金比羅宮をみつけた時は嬉しかった。おおー懐かしい、一回行ったわもう一度みてきましょうか、あれをくぐってい縁をいただきましょう。なんて思ったのよ。本当に歩いてすぐなんですよ。東京から京都造形芸術大学の卒業式に参加するみなさん、是非訪れてみては。
 

「悪縁を切り良縁を結ぶ記念所」とあり、これですぐ安井金毘羅宮だとわかった。なかったら素通りしてしまったか、わからなかったかもしれない。ともかくすぐわかって鳥居をくぐった。
      


工事中。年度末は様々な予算の関係で、こうした工事が行われるときいたことがある。おきばりやす。


お参り前は手を洗う。左手右手、左手ときておの水で口をすすぐ。      




朝早いせいかまだ人もまばら。

       

単純に岩にお札がびっしりというおどろおどろしいというか人の情念が山盛りというか、多くは多分人間関係の悩み、恋愛などの想いや怨念を目に見えぬ何かへの上申するというね。特にこういうところにきて真剣に祈念するのは大半が女性、なんていうかちょっと怖い感じというか一度みたら絶対に忘れないビジュアルも相まって、こういうの好きか嫌いかと言われたら好き、なのかなあ。若い頃は色々な怨念が自分に降りかかったら嫌とか怖いなんて思ったりしていたけれど、今はそんな事もなく誰か特定の人を思い浮かべることもなく、私たち家族の悪い縁を拭い去り新しい良縁をお授け下さいって感じ。

結婚してしまうと、特に子どもを産むと恋愛の苦労が無くなる代わりにボスママとかなんだかんだ別の悩みが生まれてくる訳で、そうだ「あの辺りのボスママ特にkingofBOSMAMAがもう私の名前や話を一切しないようにしてくださいあの人まだネガキャンやっているみたいなのでウザいですとか、娘をイジメるボス子どっかやってくださいは祈念した。あたりまえやろ?折角来たのに。まあそんな事くらいしか祈念することがないというのは平和だけれど面白味のない人生ともいえるし幸せ、なのかなあとも思った。

独身の頃来た時には、特定の人との縁切りを祈念して新しい恋をなんてお願いした。そういえばそれから別れたい人とはすっぱり縁が切れて、新しい人も運命的に表れたそういえば。その人と京都でなんどかデートしたことを思うと、ここでお願いした意味がちゃんとあったように思えた。本当に私に尽してくれる人で、前のどちらかというと自分が尽す恋愛に嫌気がさしていたのでその点でも願ったり叶ったりだったかも。うん、やっぱりすごくご利益あった。ということは今回もなんかすごくいい事があるはずよ。そういえばアラブの石油王はもう帰ったの?       

もちろん岩の穴にもくぐった。最初にこちら側から向こうにくぐって悪縁を切り、今度は向こうからこっちにくぐって良縁を結ぶということらしい。私がくぐろうと思った頃には黒山のひとだかりというか、グループがいくつもきゃあきゃあやっていたけれど、ちょっとどいてよと言う感じで「ぬんっ」と岩の前に立ったらさあっとモーゼの海のように人が引いてくれた。誰かに写真とってもらおうかと思ったけど恥ずかしいからお願いできなかった。岩をくぐった後は本当になんていうか清々しい気持になれて、心の煤をさっぱりと払い落とせたように感じた。きゃーやったあ、またこの岩をくぐれたわ!大満足よ!と喜び勇んで次の目的地八坂神社へ向かった。

どうしよう、なんかすごいまた長編になりそうだけど、八坂神社から別の記事に分けた方がいいかなあ。だんだんまたマシンがフリーズしだした。ぐぬぬ、じゃあ八坂神社は「神社仏閣シリーズ」ということでこのまま書いて、細雪の舞台「平安神宮」だけ別に書こうかな。

ということで、そこからまた歩いて八坂神社へ。徒歩にして約10分くらい。



着物の人が男女共にやけに多いなー京都だから着物が普段着なのかと思ったら、レンタルで着つけてもらったであろう外国人の方ばかりだった。なんというか着つける雰囲気で日本人か外国人かがわかるものだと思った。多分私たち日本人が中国でチャイナ服をレンタルすると同じような感じになるのかなと思ったり。ともかく八坂神社、京都には何度も来た事があるけれど、八坂神社は初めてじゃないかと思いあたった。

京都に来る時はたいがい車でくる、そうすると八坂神社の前は何度も何度も通ることになるが、車を停めるところがないのでいつも素通り。前を通って清水寺とか祇園とか先斗町に行ったような気がする。お参りしなかった訳は、こんなに立派な門構えの神社、多分中も広くて混んでいてお参りするのが大変と思ったのもあるかもしれない。でも先生のブログに「美人神社」というのが紹介されていて、舞子さんもお参りにくるなんてあった。「もう絶対行く」と決めて、京都観光というか視察というか、周るリストとしてしっかり印をしたのよ。

私は美人が大好き、同じく自分の顔もなるべくなら美人であって欲しい。なぜなら美人は性格も心根もいい人が多い。あの顔採用の先生みたいな例はあるけれど、あの顔は美人というより女狐だわね。姸があってなんか怖いというか怨念がおんねん。ということで本殿にお参りしたのはよく覚えてないけれど、  通称「美人神社」正しくは「美御前社」にて美貌と健康を祈念、健康は大切、健康でないと美人にはなれないでしょ。私今これを書いていて本当に失敗したと思ったのは、ここの御朱印はもらったけれどお守り買ってくるの忘れたのよ。あーもう大失敗。美人従妹の分も買うと決めていたのにもー!でも御朱印は予め書いてある用紙を買うというもので、これだけ額に入れて飾っておこうかな。      


ぱらりと賑わっています。この「ぱらりと賑わう」っていう表現、昨年の合評会で「こんな表現どうなの」と言われたけど、いい感じだと思うけどな。書いておくと誰かが真似すると思うけど、私が考えたやつだからよろしくね。     

 
京美人のイラストの旗がいっぱいですぐわかった。  


ひとりで来ている人と写しっこした。


この湧き水で顔をなでると美人になると書いてあったので、かなり念入りにじゃぶじゃぶ洗って美髪のために頭からもかぶったらびしょびしょになってしまった。寒くて困っていたところ、更に凍えてしまった。


ビショビショのまま御朱印を頂く。怪訝な顔をされたので「美人神社で頭にも水をかけた」と言ったら「道理でお美しい」なんて言われて京都は観光客慣れしてるなと感心。もしこれが会社とかご近所とかママ友だったら何かちくっと言われるんだろうかと思った。
      


鯛御籤。釣り竿でおみくじを引くようになっている。縁起がいいし子どもがいたらやりたいっていうだろうなと思った。今思えばこれを子ども達のお土産にすればよかったじゃない?わたしときたら本当に気が利かないわ。というかいつも節約節約と思っているから、こういう時にも財布の紐が緩まないんだと思う。これ、10個くらい買ってご近所の子ども達にも配れば良かった。




いつも車でこの道を通っていた。なのでこの三叉路みると「京都に来たー」って嬉しくなる。この商店街も好きで、時間があったらぶらぶらと行ったりきたりしたかった。でも今日は14時までに大学に行かないといけないので割愛。まだその前に行かないといけないというか、絶対行きたいところがある訳で、写真の右手に歩いて1分くらのところにあるバス亭から平安神宮を目指す。いよいよ『細雪』上巻に登場する平安神宮ら臥竜橋を渡り鯉に餌をやりたいとまた急いで移動した。考えてみればこんなに駆け足で京都回ったのなんて初めてかもしれない。

つづく

京都なんて何年ぶりだろう。それこそ小説に書いた通り、地元にいて独身の頃は、桜か春緑の頃ドライブがてら何度も来た覚えがある。もう「前世」と言っていいくらい以前の出来事。友達と、家族と、恋人と、いつも同じようなコースだったりその時の興味の向くまま坂本龍馬を訪ねる旅とか色々だった。名古屋から京都はそんなに距離もなく、日帰りでも何度も出かけたものだった。当然いつも車、恋人とは新幹線のリッチな旅だっとか、亡くなってしまった当時の親友とも来たとか、あの頃は必ず地主神社か鈴虫寺に恋愛の祈念をしたとか京都というと色々色々思い出す。もちろん京都は大好きだった。

でも今、京都というとちょっと微妙な感じ。そして今回の旅の目的は遊びではない、でも仕事でもない。そう、大学の卒業式にきたのですよ。正直来るつもりなかったし、「東京のキャンパスだけで卒業した」というつもりだった。でもちょっと事情が変わり、思い切って出掛けることにした。


旅の出来事あれこれは、Twitterを見てくださいね!

森生ゆり子Twitter
https://mobile.twitter.com/yurikomorio

帰ってきたので続きを書きたい。

大学の卒業式など絶対に行く気はなかった。会いたい人、改めてお礼を言いたい人など誰もいないし、行っても嫌な思いをするだけなのは明らか。冷やかな空気の中で発表、食事会、卒業式、その後の分科会。わー絶対嫌だ!!

仕事でもあるまいし、わざわざ行く必要があるかというと全然ない。東京から京都の本校に行く物好きなどほんの一握り、行っても行かなくても誰も気にしないだろうしお金が勿体ないと思っていた。それこそ、その分で家族で美味しいものを食べるとか、娘ちゃん連れて歌舞伎を観に行くとか3月末の歌舞伎座の俳優祭りに今年こそいってみたいとか、普段何もないところにそんなところに行けばまた豊洲のボスママ軍団や夫に「いい御身分」などとdisられやっかまれるけれど、「卒業式に行かない代わりに」というならいいだろうと思ったり。

でも「行かなくてはならない事情」が出来てしまった。娘が学校に行きたがらなくなり、理由を聞けばそれは大人の私でもやっぱり行きたくなくなるだろうというもので休ませてしまった。でもやっぱり学校は「行かねばならない」ところだと認識して欲しい気持に変わり、だったら私が「どうしようもないくらい行きたくなくて嫌な大学に行ってみせる」というのが必要かなあと考え、「ママの方がこんなに悲惨な状態で四面楚歌っていうのはこういう感じ、あなたなんてまだ「大丈夫?」って聞いてくれる同級生がいるし先生達が心配して色々配慮してくれるじゃない?ママなんて大学生でしかも通信生だから「嫌ならやめてください」っていうところな訳、でも頑張って通って単位とって卒業したんだよ、しかも敵陣の京都本部でやる卒業式まで行ったんだよ!だから娘のあなたも頑張って」と言いたかった。

という決意を延々と話して聞かせたら、大学卒業式に行く前にあっさり学校に行ってくれるようになり、じゃあやっぱりもう行くしかないじゃない、行かなかったら「やっぱりママだって行きたくないからさぼった」と思われるし言われるだろう。もー!行けばいいんでしょ行けば!という捨て鉢な気持ちがてんこ盛り、でもあえて行くのも面白そうという私もいて、気持ちがカオスってわけわかめ。

でもどうせ行かないといけないならと「行くならせっかくなので」と色々調べだし、京都行けるなんてもう一生のうちで最後かもしれないとあれこれ思案、あれも行きたいこれも見たい、そうだ千住博先生の襖絵などと夢が膨らみだしやっと本気で「じゃあ行くかあ」という気持になった。

とはいえそれでも前日もやっぱり行くのやめようか、でもでもドタキャンなんかしたら子ども達特に娘がなんと思うか、いやーでも体調不良なら理由になる?とかもうこれでも散々悩んだのですよ。

逆に一泊二日なんてMOTTAINAI、どうせなら連泊なんてことも考えたりして、気持ちがチリジリバラバラ一体どうなるかと自分でもわからなかった。当日の朝起きて「やっぱりイヤ!行きたくない!!」となれば行かないだろうし、「なんかいい感じだわ、京都是非行きましょう」になるのか自分がどうなのかさっぱりわからないままに就寝。こういう時に限って子ども達全然寝てくれなくて、ママママママママと夜中までまとわりつき、一緒に寝たら寝たでごにょごにょくっついたり話し始めたりして全然寝られなかったくそう。 

でも朝起きたら「はっ、ちょっと寝坊した?」と焦ったせいでどんどん支度できた。あー私行くんだ、「せいぜい頑張ってね」と私のもう一人の私が冷やかに見ているかと思えば、「ああそうだよ行くよ行けばいいんでしょ」という捨て鉢な私もいて、まあここまで来たら行くかあと半分諦めたような気持ちで出発。地下鉄でいくかバスで行くか迷って荷物が多いから地下鉄の駅より少し近い停留所のバスにした。タイミングよくバスが来て東京駅の八重洲口に到着。
   

しかし豊洲は便利な立地だと改めて思った。約30分で新幹線に乗れるとは。朝早いせいか席も空いていてラッキー、早速せんとくんと朝ごはん。サンドイッチを食べ珈琲を飲み、色々愚痴を言ったり相談したり、「良かったせんとくんがいてくれて」としばし会談。

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東京から京都までのぞみで2時間半かあ、やっぱり京都は遠いわねと思ったけれど、あっという間に到着。天気がいいので途中富士山が綺麗にみえたり雲がかかっていたり、すっきり見えた時は真っ白。雪が好きなので幸先("・∀・)イイ!!と嬉しかったなー

さて、これから一泊二日の京都の旅を色々書いてみたい。でもいつもの長々ブログだと自分も疲れちゃうし、最近とうとうパソコンが調子悪くなって来て、長文を書くとフリーズしたりするので細々書きたい。様々な課題、レポート、そして卒業研究でこき使ったasusのノートパソコン。思えば「文芸部ならパソコンひとつで卒業できる」と思って編入し、それはその通りになり卒業出来たけれど、果たして入学したのは良かったのか悪かったのかと思うと今の時点では吉凶混合、正直卒業式にも行きたくないくらいだからやや凶よりではあるが、パソコンが死にかけるくらい様々な文章を生みだせたことは思い通りの時間を過ごせたということでこれだけは良かった。

卒業したら新しいノートパソコンという目論見は、卒業式のために京都に行くという決定によりちょっと難しくなった。でもまたどこかから臨時収入があったり、コツコツというか自動購入しているビッグ、ロト6が当選するかもしれないし、それまではこのパソコンを使うつもり。そうだ、卒業記念にデータバックアップしてリカバリしてみようか。せっかく書いた小説やあれこれがクラッシュでもして吹っ飛んだら洒落にならない。

ということでこれから書く目次を書いてみたい。

お久しぶりに京都へ「やっぱり行くしかないか」
・卒業研究発表会の前にご利益を頂く神社仏閣巡り
・平安神宮へ『細雪』ごっこ私は谷崎潤一郎が好きなの
・さあいよいよ陣地へ乗り込む「卒業研究発表会」
・文芸コース懇親会「豆水楼」はホテルから徒歩3分
・早く起きて冬の貴船にわざわざ行ってきた訳
・京都造形大学卒業式・分科会ってこんな感じよ
・【終わりは】まとめ【始まり】

あっという間に書けるかぐずぐず書いてはやめてそのままになるか、出来るだけちゃんと最後まで書こうと思う。この書き方、目次を予告して連載みたいなのってどこかで見たと思ったら、小池百合子さんが都知事に立候補してもう一週間後に投票日という時に「小池百合子インタビュー」という連載を始めた人がいて、今頃何書いてるんだろうと正直な気持ちをあのサイトに書いたら垢バンされたのを思い出した。こんなことで(笑)と思ったし、出されたおかげで卒論が出来たともいえる。SNSの断捨離は時には大鉈を振るわないと叶わないこともある。それは人間関係も同じなのではないだろうか。

ということで京都造形芸術大学でも様々な人間模様、出会いも別れも友愛も敵対も何もかもがあった。そんな思い出も書いてみたいと思う。

ここ数日というか先週末あたりから色々色々あった。ざっくり言うと、京都造形芸術大学、豊洲小学校、それからNewsPicks。相変わらずこの三本柱であっちでちょこまかこっちでコソコソと何かしかある。NewsPicksは正直もう管轄外なのだが、色々見聞きするし話題にする人もいるのでなんとなくまだ縁を切れないというところか。でもあのサービスで社会問題に明るくなると思ったら大間違い。日々どんどん流れていくニュース達に翻弄され時間が勿体ないだけ。社会の問題に明るくなりたいなら7時のおはよう日本を毎日観るだけでいいと思う。私は最近テレビみるというとこれだけ、あとはドラマ10の「お母さん、娘をやめていいですか」を観た。私は『娘さん、お母さんやめていいですか』だったらどんな脚本にするか考えていて、そう思う母親が多すぎるので色々社会問題にもなっていると思ったりした。子ども産んだら死ぬまでお母さんするしかない訳。でもうちは夫が半分お母さんみたいなものだからなんとか持っているんだろうなと思う。昨日は夫が家に一日いたので安心して寝込んでしまった。どうもインフルエンザから体調がすっきりしないところに色々やらないといけない事があったり事件勃発で、頭が痺れて体が動かななかった。それぞれの問題はなんとかなったもの、ならないもの、続いているもの、全然納得がいかない。いつもならこれら赤裸々に書くところだけど今日は書かない。もう無料で話題を提供するのにほとほと懲りたしもうここまでくると「ママ友ハラスメント」の話から逸れてしまい、ブログの主旨とは違う方向に行くと思う。

もうハラスメントやイジメは世の中から無くならない。今こうして私がブログを書いていてもあっちでもこっちでもあるだろうし、ボスママに目をつけれて生きた心地がしない人達がたくさんいるだろうし、イジメに堪えて辛い気持ちでいる子ども達が今日死のうか明日にしようかなどと考えているにに違いないのだ。もう私が言えるのは「馬鹿のために死ぬのはMOTTAINAI」ということだけ。学校に行くのが嫌で死にたくなるなら学校に行かなくていいし、親は子どもがさぼりたくて言っているのかそうじゃないのか子どもを毎日見ていたらそのくらいわかるのではないか。全然気が付かなくて死んだ後に日記みて愕然なんて、それはちょっと違うんじゃないかなと思う。きっとみて見ぬふりが愛とか、叩かれることで子どもが強くなるとか、妙な体育会系の馬鹿な根性論はそういう時全く役に立たない。かといって甘やかしになっても困るしやっぱり難しいな。ともかく世間体的に日和るのだけはやめようと思う。

今回の色々はネタ帳的にプールし、あの人については色々役に立ちそうだから何かの時の切り札にすることにする。前に自身が言っていたのでその通りにする。あの人のお得意な「パパにいいつける」ってやつを今してもいいけれど、きっとごめんで終わるしいくばくかのお金ということになるだろう。そんなものいらんわ。ということでちゃんと謝ったのは認めるけど全然反省の念が伝わってこず、これで手打ちとは思わないで欲しい訳。もう本当に助けなければ良かった、泣いて大学辞めるのが本当にお似合いだったのよあなたは問答無用で最低最悪。

といういことで最後まで京都造形芸術大学最悪ということになったが、それでも色々学び多き授業もあり、エキサイティングなイベントありで何も知らない一年目は割と楽しく過ごせたのでイーブンということにしようか。特に私の運が良かったのは主担任副担任が他の誰でもなかったということだろうか。先生達だって大学側の先生だから思うところはたくさんあったと思う、でも主観を抜いて私の卒業制作だけをみてくれたということになるのではないか。他の先生達だったら私、特に「大学というレンズを通してみた私」について評価採点したと思う。

あの顔採用なんかはいい例で、結局成績における疑義書はもう出さないことにした。どれだけ何を書いても「(笑)」というものしか戻って来ないだろうし、「N先生もご存知です」とわざわざ書いてくる恥晒しっぷり。困った時の御旗のご門というか、成績の採点ではないと言っているようなものだと思う。どうしよもないと思うし大学がそれでいいと思うならいいんじゃないでしょうか。次からは大きな声と文字で授業すると書いてあるし、図らずも顔採用を助けたことになってしまいこれ以上奴の役に立ちたくない。クレームって世間ではマイナスイメージだととらえる風潮があるけれど、真っ新に受け止めたらそれは企業や個人をよりよくするメッセージだと思う。

先日藝術学舎の『文章講座』(※寒竹先生の授業は素晴らしいに決まってるので内容やためになった話は割愛。タダで教えるもんかと思う)を受けたせいか、たまたま周りが文芸コースのこれから卒制をするという方々で、卒制の終わった私は余裕ぶっこいて色々アドバイスしたけれど、一番念押ししたのは「先生のアドバイスは金言」ということ。ああでもないこうでもないといちゃもん的に人格攻撃したり書いてくる人はいるだろう。でもそういう人はもう論文研究の担当からも外されたと聞いたし、少なくとも昨年残った先生達というのはおおえか以外は割とまともな先生達ばかり。なので安心して先生のアドバイスをきくように、無理と思ってもやってみると確かにそうだという結果になるからと伝えた。この私だって先生のアドバイスはひとつ残らず採用したなどなど言えば皆納得だろう、私っていい先輩だわ、本当にみんな頑張ってねといいたい。四年生の一年間はいつも卒制が頭から離れず、色々と辛いものなのよ。でもそのお蔭で他の悩みは全部薄くなっていたともいえる。それが消えたものだからまた振り出しに戻っているのかなあという感じ。ともかく「先生のいうことはよく聞いてネ」という実家のママンの訓えはこの場合は正しかったといえる。でも誰が先生でそうじゃないかは大人なんだから決めていいと思った。

しかしよく単位取れたと我ながら感心してしまう。おかげ様で最後の授業『日本美術論』も単位認定されたと葉書が届いた。これで4月末には卒業証書が届き、芸術学の学士ということになる。もうこれで高卒と夫にdisられずに済むのがありがたいと思う。子ども達だって「ママは最短で大学卒業した」というのも通信大学でどれだけ大変なことか、大人になったらわかると思うし、自分の好きなことならどんな境遇になっても頑張れるといういい見本になれると思う。本当に良かった。

そしてここでまた大学にとって嬉しくない事を書かなくてはならず、余計に心証が悪くなると思うけれど、卒業が決まったからこそ思うところをまた赤裸々に書いてみたい。

私はこの大学に入学する時に「東京のキャンパスだけで卒業が可能」と書いてあるフレーズに強く惹かれて入学した。大学の本部は京都だが、東京で必要な授業は全て受けられるというもの。確かに私は二年間東京にある外苑キャンパスの授業だけで単位を取得しこうして卒業のはこびとなった。でも果たして本当にそうだったかと言われれば、私は「そうじゃなかかった」と言いたい。

京都造形芸術大学通信教育部の授業、特に文芸コースは東京も京都も同じ科目の授業が行われ、京都はa東京はbという区別で申し込み、授業を受けることになっている。必修科目については同じような授業が行われるし、内容や担当の先生が違うこともあるがそんなに大した問題ではない。何より「単位を取得する」というだけならありがたい事でもある。文芸コースのイベントはそう多くないが、読書会、懇親会、合評会などあるし、本年度は有志で文芸フリマに参加と言うおまけまであった。通信教育で学ぶということを考えたら、十分にリアルで学べたし学生間の交流もあった。

しかしこと京都の本校との距離はすごく感じてしまった。例えばこの春京都で毎年行われる『都をどり』というイベントがあるが、祇園歌舞練場が履修工事を行うということで、この大学の擁する大ホール『春秋座』で通しで開催されることになった。京都を彩る春の風物詩、こんな大きなイベントが自分の学ぶ本校で開催されるということはとても名誉なことでもあるが、東京にいるばかりに参加はおろかなんとなく蚊帳の外的な印象を受けてしまう。これはもちろん京都に行くことがなかなか叶わない身の上の不甲斐なさでもあるし、そっちに行く対費用を考えたら近くにある歌舞伎座でお弁当をつつきながら海老蔵の助六でも観たいというのが本音でもある。でも大学の機関紙『雲母』などに「学生50名を無料招待」などと書いてあると、東京にいて京都が本校という理不尽について色々と考えてしまう。



他にも『ホームカミングデー』は京都だけだし『卒業制作展』も然り、「東京だけで卒業できる」とあるが、通信教育で学ぶという身の程を考えないと色々寂しくなってしまったりすると思う。特に京都に本部があるということは、東京の学舎、特にそれぞれのコースについては学部コース長の采配に大きく左右されるところが多い。大学との距離が大きくなってしまったのは私の場合距離的なものだけではないが、こういう事態になるまで何もわからなかった知らなかったというのは本校が遠くにあり、それゆえに監督不行き届きだったというところもあるだろう。

それだけでなく、京都でしか受けられない授業もたくさんあったりして、それも距離を感じたひとつ。特に一番話題になったのは『著作権法』の授業、これは皆が受けたいと思っていたものの京都でしか授業が行われなかった。他にも『京都学』とか、学外フィールドワークで寺院や仏像をみてまわるというもの、神社仏閣の多い京都ならではの授業だが東京では全くない。そもそも私は文芸コースなのでそういう日本美術史的なものは必要ないと言われればその通りなのだが、やはりもともと美術史は好きだしせっかくなので受けたいと常々思っていた。余裕とガッツのある学友などは京都まで通ったと聞いてとても羨ましかった。そうではなく、卒業の単位が足りなくて全然コースに関係ない授業を受けるために京都に行ったとかもあり、これは生徒の勘違いで大学のせいではないけれど、こういう事もある。

代わりに東京だからこそ新元先生や千住先生の講演なども聞けて、東京で良かったと思うところもあった。ということで身の程を知るというのは大切だとまた思った。

でもこういう風に思うのは私だけではないと思う。通信教育部は大人が通う大学でもある、多くの人は大人気ない言い分は引っ込め、自分の守備範囲内で学び、単位を取り、イベントを楽しむ。しかし入学する前にこれらわかっていたとしたらどうだろう。一年間に入学した1700名のうち80%の脱落した方々も色々思うところあったに違いないと思うのだ。文芸コース以外の学部は京都で必修の授業もたくさんあり、結局はお金、特に交通費や宿泊費が続かなかったという事になるんだと思う。入学する時はパンフにいい事楽しい事卒業して成果を上げている一部の人達の事をクローズアップして掲載するだろう。でもそんなの本当にピラミッドの頂点の数人。入学するときは「何とかなる」と安易に思うだろう、でもすぐに「なんともならなかった」ということになると思う。
 
他にも「それぞれのコース毎の采配」というのは以前にも書いた「外資系の採用人事と同じくチーム毎」というのと同じだろうと思う。そこの長がいいと言えばいい、問題ないといえばない、そして「生徒に対しても全て自分に決定権がある」という空気、そんなの京都の本校、通学生に適用されたとしたら文部科学省が待ったをかけると思うし、通学生は誰も異を唱えられないだろう。通信生のしかも大人の私ですら訴えたばかりに酷い目にあっているのが現状。でも何かあっても無かった振りで静かに卒業していく生徒が賢いということになるだろう。 そして私は人を見る目がなかったということになる。後から色々な人に様々に聞くにつれ思うのは、「大人でも大人気ないい人は大勢いる」   ということ。まあそれは自身の大学で証明できたからいいが、そもそも「訴える」というのはした方が損するように出来ているのだとまた思った。
   
今思うのは、時が過ぎれば何もかもが思い出に変わるだろう。もし大学やあの先生やそのせいで揉めた学友達となんとなくなあなあで笑って済ませていればよかったかもしれない。でも人の本音やいざという時の対応の仕方、組織の持つ隠蔽力、手のひらを反すような対応。色々と垣間見ることが出来て、普通につるっと卒業するよりは学ぶ事が本当に大きかったと思う。何より「地方と私腹の多い大学には子どもを入学させない」という意志も固まった。出来れば中学も高校も私立はやめて欲しい。例外として武蔵美はいい。もし時を逆戻りさせられるなら高校一年生くらいに戻って武蔵美を受験したいと思う。今の私が高校生になれたら「女に学歴はいらない」というあの頑固親父と対立してでも大学に行ったのに。西原恵理子さんも苦学して卒業されているが、京都造形芸術大学だったら途中で退学していたんじゃないかと思う。

色々思うところはあるが、ともかく卒業出来ることになった。嬉しいような嬉しくないような複雑な心境ではあるが、ともかく子ども達に「ママは辛くても悲しくても苦しくても頑張って卒業した」ということだけは言える。これだけはまごうことなく良かったと思う。通学生は裕福な人ばかりと思っていたが、そうでもないとも聞いた。苦学して卒業に漕ぎついた人もたくさんいるだろうし、様々なハラスメントに堪えて大変な思いをた人も多分いるだろう。

ともかく脱落せずに卒業出来た学生の皆さん、卒業おめでとうございます。様々な壁を乗り越えまずは卒後というコールに辿りつけたこと、本当に素晴らしいと思います。でもこれが終わりではないんですよ、社会に出ればもっと大変なことがたくさんあります。どうぞ今までの苦労が少しでも報われるようにと祈るばかり、お互いこれからも頑張りましょう。
   
などといつものようにブツクサ書いて、更に藝術学舎のレポートとおまけの短編小説習作まで書けてしまった。大学に入学したばかりの頃は、武蔵美のレポートにだいぶ慣れたとはいえやはり課題は様々に苦労した。でもえいやっとやってみれば出来不出来はともかくあっという間に完成した。自分の苦労も少しは報われたように感じた。

やっとインフルエンザから脱却できそうな本日罹患5日目、体調はほとんどいいが、医者からもらったパンフによると「熱が下がっても、しばらくはインフルエンザウィルスが残っているため、他の人に罹患させる可能性があります。」とある。5日目までは家にいないといけないそうな。ちょっと外に出たい気持ちもあるけれど、念のためもう1日家にいようと思う。それでなくても家はもう廃墟と間違えられそうな惨状、こでも起きてちょこちょこ片付けたからこれで済んでいるけれど、そうじゃなかったら本当の汚屋敷。夕べは夕べでせっかく子ども達も寝入ったところに夫が遅くに帰って来て、それからまた勉強がどうの片付けていないだのこれやったの(なんかの悪戯)誰だ僕じゃない私じゃないとわーわーやりだしそこから夫のいつものdis節がさく裂し「あの高卒かあちゃんは一体何やってんだよ」とインフルエンザで寝ているとわかっているのに大声でののしりだし、それはいつものことなのでよしとして一体いつまで子ど達を起こしておくつもりなんだろうとイライラすること約2時間、とうとう0時を回ったところで私がブチ切れ、それならもう今夜はずっと起きていなさいとテレビをつけて観たった。そうなると反抗的なやつらは急に寝出して、明日起きられないとかテレビうるさいといいだす。一体全体あんたらが今までどれだけうるさかったかと思うのしかも私インフルエンザで寝ているのに。でもその後せんとくんと一緒に寝たせいかぐっすり眠れて、これはひとりで伸び伸び眠れてしかも寂しくなくていいと思った。

既婚女性と独身女性の美貌の違い、それから子どものいる人といない人と比べ、年齢を重ねるごとに顕著なのは、自分にお金をかけられるかそうでないかは勿論だが、「睡眠時間」や「睡眠の質」も大きいと思う。ひとり暮らしもしくはdinksなんかで自分が好きな時間に眠り、もちろん仕事や勉強で時間制限があるとしても、何も物音もなくしんとした空間で寝られる人と、寝入りばなに怒鳴り声で起き、そこから寝る寝ない早く寝ろだのわんわんやってもー頭に血がのぼっちゃって熟睡なんて出来ない!という毎日かっていうのは本当に健康にも美容にも響くわけ。全く私Twitterの方にも書いたけど、結婚したばかりの頃は一緒に寝ている夫の鼾で夜眠れなくて死にそうだったし、子ども産んでからは夜泣きで寝られなかったし、子どもが小さな頃はやっと早く寝かせたと思ったら夫が必ずバッドタイミングで帰ってくるし娘の受験だとかって帰って来てずっと夜中まで大音量の暴言を聞き続け夫がたまに帰って来ない日があるかとほっとすれば、子ども達は夜中に起き出しキッチンでめちゃめちゃな料理を作ってテレビを大音量で見ている。しかも至近距離に椅子を並べて。何故至近距離化というと私が『テレビは離れてみなさい」という注意に反発しているという。もう何もかも好きにしていいから防音室で眠りたいものだと思う。

また前置きが長くなり、今日は「ご無沙汰のインフルエンザの思い出」などとタイトルして、もう7年前にもなるけれど、夫を抜いて一家でインフルエンザに罹り、息子はあとちょっと発見が遅かったら命が危なかったなどと言われて、あの時は総合病院も今のように「初診料5千円」とか「同じく八千円」とかそういうのもなく、聖路加も24時間365日いつ行っても診てもらえて本当に助かっていた頃、もし今あの状態だったら週明けまで様子などと判断していたら息子は。現に私、土曜日に早朝から発熱したもんだから、なんとなくインフルだとわかっていたけれど、苦しくて起きられずじっとしていた。夫に頼んで病院行くくらいなら死んだほうがマシなどと悶々としていて、人ってこうして生死が決まる時があるなとも感じた。その時聖路加に息子と共に入院したんだけど、もちろん息子だけ入院、聖路加は親が付き添わないと行けないのでインフルエンザのまま付き添い、簡易ベッドは痛くて冷たくて部屋が冷蔵庫のように寒くて夜中震えあがったという話、夜中にこそっと息子のベッドにもぐりこんで息子を抱いて「ああ、温かい」とやっとぽかぽかした話とか色々あったけどまたにする。

その他もう一件書こうと思ったのは、インフルエンザで寝ていてなんか急に孤独を感じて、自分はこの世にひとりぼっちなんだと悲しくなりそのまま鬱になってしまった話も書きたかった。今日起きたら治ったみたいなのでもういいっちゃあいいんだけれど、久しぶりに感じたさめざめとした孤独、あれもちょうど7年前、息子産んだばかりで息子とベッドに寝ていて、家族は家の中に全員いるのに、急に怖いくらいの孤独を感じて死にたくなった時のことを思い出した。家族がいて子どもが二人もいて、孤独なんて冗談じゃないと思うかもしれないけれど、こっちこそ冗談じゃないと言いたい。子どもを産んだからこそ感じる苦悩、それに繋がる孤独、子どもを産んだことのない人にはわからない領域の話だと思う。よく元気アナウンサーが結婚して子ども産んだ途端に様々な理由で自死してしまうけれど、本当によくわかる。もう孤独の穴に落ち込んだら出てこられないのよ。私はこれまた何かのお導きといえば大袈裟だけれど、本当に寸でのところで友達が気が付いてくれて出してくれたのよ。しかも遠くに住んでいる地元の友達。まああの頃はそういう人にじゃないと色々ぶっちゃけて話できなかったから。この時に友達と思い切って出かけた旅行で買ったのがせんとくんのぬいぐるみ。せんとくんの顔を見ると、ボスママやその不愉快な仲間達の事で死ぬほど悩んで苦しくて消えてしまいたいと思い続けた日々なんかも思い出す。あいつら決して許した訳じゃないし今でもそれは続いているけれど、仕方ないなって感じ。でもそのうちなんらかの機会に〆たいと思っている。様子見。

私の数少ない親友せんとくん。

で、すみません本当に前置きが長くなり。

タイトルの通り、例のヤマト運輸の再配達問題ですが、私があの記事を書いてから、ようやくちょっと進展があったように思うので書いてみたい。

ある日いつものようにヤマトさんが荷物を配送してくれたことが考えるきっかけだった。この日はたまたま自分の注文したものが多く、山のような荷物を綺麗な配達員さんがニコニコと運んできてくれた。私はお礼を言って荷物を受け取ったが、今私がたまたま在宅だったからいいようなものの、もし不在だったらどうなったか考えてみた。お節介にも色々聞いてみると、再配達は非常に多いという。宅配ロッカーがあるのにと思ったら、ほとんど午前中でいっぱいになり、再配達防止の役にたたないのだという。

私はとある事を思い出した。以前、普通にママ友グループに所属し、ボスママおよびその腹心達にいいようにされていた頃、私はその当時のボスママ(のちにキングオブボスママが混ざってからはNO.2になった。この辺りの話もまた別に書きたい。こんな面白い話を書くのを忘れていた)に、何かを自宅に届けるように仰せつかった。朝晩バス停で会うからその時でもいいのに、なぜか忘れたが自宅にそれを持って行った。「宅配ボックスに入れておいて」という。で、宅配ロッカーで「配達」の操作をすると、なんといっぱいだという。えっ!と思ってびっくりした。幼児園のバスが行ってしまったばかりなので、遅くとも9時か10時の間だった。

「もう宅配ロッカーいっぱいなんだ、なんか特別な日なのかな」

などと思ったが、後に配達に来てくれたヤマトの方に聞くと、「最近はいつもそうなんですよ」と言っていた。これ、確か娘がもにゃもにゃすぽーつ幼児園の年少組の時だから、2008年、息子がお腹にいた頃よ。そうそう、20008年だった。こんな昔から宅配ロッカーいっぱいで再配達困る問題は起きていたのだ。なのに誰もヤマトの配送の方の苦労も考えず、あっちのAmazonこっちの楽天で好きなように買い物をし、時間指定も市内から昼間に不在の荷物は全部再配達になった。やっと10年の時を経て、

「昼間はもう配達しません」

となっても全然不思議ではない。 主要ニュースはこちら。   
   
あの私が初めてこの問題を投げ込んだ時のNEWSPICKREたちの戯言をここに紹介したい。2012年4月
『Amazon やそのカスタマーからヤマト運輸が受けているハラスメント撲滅のために』    
https://newspicks.com/news/1516695?ref=search&ref_q=%E8%8A%B8%E5%A4%A7%E3%81%AB%E9%80%9A%E3%81%86%E3%83%9E%E3%83%9E&ref_t=top   

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※リンク飛ばないのでスクショしたった。
   
ほとんどが、「再配達問題?」「はあ?」「そんなの企業努力が不足しているだけ」みたいな冷ややかな意見。「宅配ボックスを増やせばいいだけ」なんてのも!それが一年の後、皆それぞれが様々に考えるところがあったのだろう。こんな風に代わっている笑

『ヤマトが昼の配達取りやめ検討 正午から14時、来年度にも』
https://newspicks.com/news/2093742/


昼間の配達をなしにというのはとてもいい。しかしロングランチタイムが働く士気を高めるかというと、それもちょっと懐疑的。働く側からしたら、昼間休憩が長くなる分夜遅くなるとしたら余計な施策ともいえるかもしれない。色々問題は残るが「再配達は大問題」という認識が出来、解決策についても一歩前進ということで本当に良かった。

でも一番の解決策は、Amazonがもう独自に配送システムを作ればいいだけの話。Amazonの中だけで配送まで完結させるということはとても意義があり、Amazonという巨大サービスが更に付加価値を持つことになる。それとあのなんでもかんでもAmazonの段ボールというのも廃止した方がいいと思う。パッキングも厳重すぎて封を開ける時にちょっと引いてしまう。ゴミも大量に発生するし、もうちょっとなんとかならないのかなといつも思う。Amazonとgoogleは大きくなり過ぎたと人々は言うが、だからこそ出来ることがたくさんあると思う。まずは配送部門を作ってくださーい。私も体調いい時はパートくらいしますよ(*´▽`*)

2015.12.15write 昨日まで論文研究Ⅱの授業だったが、同時に入学説明会が行われていた。校舎の一階には教科書の見本が並べられ、正面入り口には案内の方が立ってみえた。私は入学説明会というところに一度も行ったことはなく、色々心配していても仕方ないし、入学してしまえばなんとかなるだろうとよくわからずに大学に入学した。


武蔵野美術大学から京都造形大学に編入する時も、通信教育課程だからどこも同じだろうと思い、説明会には参加しなかった。もちろん資料は取り寄せたが細かいところは読まず、システムについては何も予備知識なく入学したところ、戸惑うような違いがいくつかあった。今日は二大学の違いをまとめてみたい。

京都造形大学は京都造形、武蔵野美術大学は武蔵美と表記する。

まず、京都造形は一年に履修する単位の上限がない。可能なら100単位だってとれる。もちろんコース毎の必修授業はあるが、年度の最中にどの科目を履修するかもその時決められる。それに対し武蔵美は、年度の初めに履修登録というものをする必要があり、登録した科目しか履修することができない。しかも登録科目は上限40単位まで。年度の途中にやはりあれを履修したいなどと思っても、履修登録していないと出来ない。

本校舎が京都造形は名前の通り京都にあり、武蔵美は東京にある。京都造形の文芸コースは東京校舎で卒業するために必要な授業が全て受けられ、京都まで行く必要はない。武蔵美は東京に本校があるが、国分寺からバスで20分ほどいったところにある。周りは住宅地で、コンビニも何もないところだ。国分寺から歩くと30分ほど、夜バスがなくなり歩いて帰った時は、怖くて涙がでた。

他には、ファイン系から文芸コースに変更したせいもあるかもしれないが、武蔵美は課題提出の締切がない。もちろんテストを受ける前に出すという前提はあるが、基本的に2月末日が最終締切で、それまでに提出すればいいことになっている。京都造形は毎月10日という締切があり、面接授業の宿題、いわゆるスクーリングレポートにも締切がある。

京都造形に入学してから、いつも締切に追われるようになった。へとへとになるが、締切を守って必死に課題をこなしているうちに、いつの間にかたくさん単位がとれていた。これは私にとってとても良かったと思う。いつでもいいと言われると、甘えてしまいなかなか着手できない。

他には、武蔵美は春、夏、秋、冬それぞれにスクーリングが区分けされ、季節ごとにスクーリングを申し込むようになっているが、京都造形は毎月、開催されるスクーリングを申し込むシステムになっている。これも私には毎月申し込むシステムの京都造形の方がよかったと思う。毎月のルーティンとなれば雑用が増えるが、その時々に予定を鑑み申し込みができる。武蔵美だと、かなり前の段階で申し込みするため用件がバッティングすることがよくあった。

他に違うのは、武蔵美は本校舎に通うため、最近できた素晴らしい図書館を利用できる。京都造形はもちろん本校舎にはあると思うが、東京外苑の校舎には、図書館はなく、6畳ほどの物置的な図書ルームがあるのみ。文芸部に必要な資料は揃っているそうだが、あまり利用したことはない。

武蔵美の夏のスクーリングは、通学生が夏休みの間ずっと開催される。7月下旬から8月末まで、日曜日を除き毎日毎日ほとんどの教室で授業がある。通信教育生といえども、単位をとるためにほとんど毎日通う人もいる。私もその一人で、最初の一年目は毎日通い、暑いわ妊娠中でお腹が重くて死にそうだった。でも毎日美大で実技が勉強できるので楽しかったし嬉しかった。

武蔵美のスクーリングは学生食堂も利用できた。名物MAU定食や、うどん、ラーメン、小鉢色々デザートなど。すごく美味しいという訳ではないが、通学生気分は満喫できたし、休憩時間に学友達とお喋りするのも楽しかった。朝早く開いている中庭のパン屋さんは本格的な手作りパン屋さんで、朝ご飯に食べるのが楽しみだった。顔を覚えてくれた先生達が声をかけてくれて、友達もたくさんできた。大学ってこんなに楽しいんだと思えたのは、武蔵美だったからだろうと思う。

今は通学時間や勉強する内容を変えて大学も変わった。通学は本当に楽になり、新しい友達もできた。それから今は大学が楽しいというより、勉強が楽しいと思うようになった。これは京都造形の先生方からご指導いただいた賜物だろう。テキストを読み、言葉を選び、注意深く文章を重ねていく作業は、昔の私なら近寄りもしたくなかった作業だろう。それが今はとても楽しい。

それと、たまたま私の周りが、というだけかもしれないが、武蔵美の時は苦学生が多かったが京都造形は余裕のある方が多い。大学が3つめとか5つめとか、大学マニアのような方もみえる。卒業しても次々と新しいジャンルの学部に挑戦されている。それと、私もそうだが武蔵美は単位がとれないという悩みを抱えている人が多かったが、京都造形は単位がとりやすいというより勉強して単位をとって当たり前という空気があるように思う。

よく授業で一緒になるOさんは、お会いするたびに単位取得数を教えてくれる。あまりにもたくさんとってみえるので、それなら私もと奮起した。ブログをすすめてくれたwさんもきっちり何でもするタイプで、それでも必死感はなく楽しんでいるようにみえる。Hさん、Tさん、Yさん、Kさん、本当に文学コースの勉強が楽しくてたまらないという方々ばかりが周りに集まったように思う。良い影響はいくら受けてもいい。私も人にいい影響を与えられるように、日々頑張ろうと思った。

京都造形と武蔵美の違いまとめ

・本校舎が京都造形は京都で武蔵美は東京にある。
・(私の家から)京都造形東京キャンパスまで30分武蔵美は2時間
・武蔵美には版画コースがあり、京都造形にはない
・京都造形には文芸コースがあるが、武蔵美には小説を学ぶ学部はない
・京都造形はスクーリングが土日祝日、武蔵美は土日祝という授業もあるが平日一週間ということもある
・武蔵美は本校が東京で学食や図書館が利用できるが京都造形東京キャンパスにはない
・京都造形は駅から徒歩5分、武蔵美は駅から更にバスに20分乗る徒歩は40分
・スクーリングは武蔵美は季節ごとに申し込み、京都造形は毎月申し込み
・京都造形は何もかも引き落とし、武蔵美は何もかも振り込み(手数料は生徒負担)
・武蔵美は理由によっては授業の1/6休みが認められるが京都造形は遅刻も一切NG
・武蔵美のテストは持ち込み一切禁止、京都造形は電子機器以外は資料持ち込みOK
・武蔵美は学部間の垣根が低いが京都造形は高い、他部署との交流は全くなし
・武蔵美は授業以外の勉強会は生徒主体、京都造形は学校主体で色々ある
・京都造形はネットで勉強できるAirUがあるが、武蔵美はなし
・武蔵美の授業は9時から17時半、京都造形は9時半から17時40分(11時スタートもあり)
・授業の後に飲み会がしょっちゅうあったのは武蔵美で学外の交流もよくあったが、京都造形はほとんどない

同じだと思ったところ

・どちらにも通信教育課程がある
・学生証で学割がきく
・懇親会の規模や内容
・大学が運営するカルチャーセンターがある(ただし武蔵美は単位認定なし、京都造形はある)

今度Excelで表にまとめてみよう。


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※日本画の授業で、色絵の具の素材一部を見せてもらう。鉱物が絵具になる。

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※武蔵美の日本画の授業。写っているのは版画では卒業できないと教えてくれたNさん。

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※日本画Ⅰの授業で描いた百合の花。尾形光琳の「松島屏風図」をリスペクトして描いた。

【編集後記】

区役所にいったついでに教育委員会にいる知り合いに会いにいったが出張中だった。教育委員会というと、何かあれば訴えるとか葵のご紋的イメージだが実は全くそうではない。言い方は悪いが、教育委員会と学校は当然繋がりがあり、機関は違うが同じ立場のようなものだ。ただ無認可の幼稚園や学校は管轄外で、訴えても何も出来ないのだそうだ。何かあって訴えるのは教育委員会ではなく、司法がいいのではないか。教育委員会が役に立たないという訳ではなく、「訴える」ところではないからだ。この方に会いにいったのは、何か訴えたいのではなくプライベートな話し。この方にお祝いごとがあり、皆で一席設けることになっている。電話してから行くべきだった。


アクセスが多いみたいなので卒業について追記、2017.02.11

卒業認定について全然違うので書いてみたい。まずは京都造形芸術大学通信について。



京都造形芸術大学は卒業確定のスケジュールが2パターンあり、卒業式に出席したい場合はAのスケジュールで単位をとる必要がある。私はBのスケジュール、4月上旬に卒業が確定になる。でも成績には関係ないし、既に今の時点で卒業のための単位は取れている。もちろん卒業式にも出席するつもり。

武蔵美については武蔵美に聞いてみて下さい、でもこんな風に分けるなんて聞いたことないかも。


2017.02.15追記

気になって武蔵美の方にも連絡して聞いてみた。調べてもらう間の保留音が昔と変わらず、息子がお腹にいて色々初めてでわからなくて電話した時のことを思い出した。息子はお腹にいる時から元気いっぱいで足をバタバたするのが好きでお腹苦しかったなー。ママと一緒に武蔵美で勉強した事を覚えていてくれるだろうか。

さて武蔵美の卒業認定の話。こちらの場合は卒業年の前期に卒業認定の126単位のうち108単位取得者が当年卒業者としてリストアップされ、本人から申請を受けて卒業生予備軍となる。で、2月末までに必修など含め課題を提出、その成績の結果で126単位取得者が卒業生となり3月中旬の卒業式に出席し卒業証書を授与されるそう。

そういえば2年生の時に2月28日ギリギリに大学までレポートを持って校内で清書してその場で出したことを思い出した。卒業の年までそうなんだとびっくりしたし、このスケジュールでは学生はありがたいが大学の事務局が慌ただしくて大変だろうと思った。

京都造形芸術大学ってやっぱり事務局が怠慢なんじゃないの?なんで二部に分かれてしかもBコースは2月10日に締切なのに4月卒業なんてやってるの。紛らわしいしそもそもこれが変なのよ。カルチャーセンターと間違えてるんじゃないの?

ちなみに昨年度の入学、卒業者数は以下の通り。みんなネットでわーわー言ってないで聞けば教えてくれますよ。私はどちらも入学案内の部署で聞いてみた。

2015年度武蔵野美術大学通信教育学部入学者5~600名卒業生180名【卒業率】約30%
同じく京都造形芸術大学通信教育部入学者1740名卒業生約400名強。【卒業率】約20%

卒業率が高いとみるか低いとみるかは人それぞれ。

京都造形芸術大学通信の卒業生の数は2015年度は不明で2014年度が427名、その前の年が462名だそう。だいたい毎年400名強らしい。こうしてみると通信教育学生というのは約2~3割の生徒しか卒業出来ないものだとわかる。

なのにみよ、私なんてちゃんと卒業して(まだ確定ではないけど単位はとってるからよほどの事がない限り卒業となるはず)しかも編入後は最短2年で卒業となった。これもひとえに真面目に勉強する学友達からの影響のおかげで、大学や先生達は足をひっぱるばかりで最低最悪だった。この環境で頑張れたという自信は、これからの人生の礎になると思うので損ばかりではない。だが今回卒業する京都造形芸術大学にお礼などいうつもりは絶対ないし、逆に謝れという気持ちを抱いたまま卒業することになっている現状を記してこの記事を完成としたい。そもそもハラスメント認定されて処分された先生が、私に謝る必要はないから会いたくないと言っているそうで、それも大学が容認している現状、もう大学がハラスメントを容認しているといっていいと思う。

京都造形か武蔵美か迷ったら100%武蔵美をお勧めする。京都造形芸術大学なんかに入ったら勉強どころじゃなくなります。京都造形芸術大学なんかに入学したら泣いて辞めなくてはいけなくなるからお金が勿体ない。言っておくけどこれら私の経験に基づく率直な感想だから4649。この一年間大学や先生に気を使って馬鹿をみたと今更ながら思った。

武蔵美は先生や大学が生徒が勉強しやすいようにと気配りしてくれる、これ本当。京都造形芸術大学は生徒が先生や大学にへいこら気を使って勉強どころじゃなくなるよ。




ここまで来たらはっきり言わせてもらうけど、あんたなんか先生だから気を使っただけで異性として一ミリも興味ないから勘違いするな本当にいい迷惑。


2017.02.25 土曜日:またしても追記 

 武蔵美は卒業制作作品集が卒業生および在学生にも全員に配布されるが、京都造形芸術大学は、卒業生だけが"購入"するもののよう。先日卒業制作の最終面談でなにやら封筒を渡され、その中に「卒業制作作品集購入申し込み書」というのが入っていた。私はてっきり文芸コースの卒業生全員の卒制を集めた文集が作られたと思ったのよ。そしたらこれが通信教育部全コース卒業生の要約集だったという訳で、またまたビックリしてしまった。

そういえば一年目に卒業制作集貰わなかったと思い出し、京都造形芸術大学は、卒業生だけが買えるものだとわかった。お値段¥3,500-!当然申し込みしないと手に入らない。確かに学生数は多くて用意も配送も大変だと思うけれど、これは全生徒に毎年贈っていいものではないのかと思った。でないと卒業制作どんなものを創ったらいいのか道標もなにもないという事にならないだろうか。


休学している3年分も送られてきたので六年間ぶんある。ここに卒業制作作品は載らなかったけれど、確かに在籍していたという証でもある。武蔵美の卒業式はどんなかなあ。卒業制作作品展には行ってみようか。

しかし、たがが通信大学、されど芸術大学、色々違いがあるものですね。

昨日は大学の「フライングカフェ」というイベントに参加してきた。昨年度は確か浅草だったと参加した誰かに聞いた。京都の方でもやっていて、記事になっているので紹介。「今年は文芸コースが幹事」とあり、学部コースが持ち回りで担当するよう。

このイベントは年に一回、在学生だけのもので、何か史跡や博物館美術館などに皆で行き校外学習、その後大学に戻りお茶をする、ついでに先生達に学習相談をするという催しで、今年の東京外苑は神宮外苑の聖徳記念絵画館の見学、日本美術史で御馴染の美和先生のレクチャーつきというものだった。ということは「歴史遺産コース」が幹事だったのかな。

私は元武蔵美時代は版画コース、現文芸コースだけれど、日本美術が結構好きでここも一度見学したいと思いながら学生生活も終焉を迎えそう、そんなところに丁度いいイベント。諸事情あり大学の方に色々気を使わせてしまったが、わたし的にはとても楽しい時間だった。



これは聖徳記念絵画館に行った後に出された和菓子とお茶。どちらも京都からわざわざ取り寄せた有名どころのものだそう。和菓子は「下萌」という名の通り、中は萌え萌え薄緑の餡、白い手毬のように巻いてあるものはなんとか芋ということで里芋っぽい味がした。だめだなーメモしていないとやっぱり忘れる。それにこれでも茶道8年くらいやっていたのにお懐紙の使い方も忘れてしまっていた。


信濃町駅を降りて大学に向かう道。いつも左側の歩道を歩いてまっすく行くと左側に大学の校舎がある。今日は右側にある明治神宮外苑の聖徳記念絵画館へ。信号渡って近道でいった。右側にいったのは初めて。 

明治神宮外苑は広い。
四角の10番信号の右横のに校舎がある。神宮外苑管轄外のせいか、どの地図にも載っていない。でも校舎内の樹は全部御神木という事で、明治神宮の担当の方が手入れをするそう。
   

参加者は建物正面で集合。参加者はざっと20名ほどか。大学の近くにこんな建物があるとは知らずにいた。びっくりだった。
   

ここでチケットを買う。チケットといわずに拝観料的な協力金という名前。歴史保存に使われるということだろうか。


天井が大きなドームになっている。「東京駅みたい」と誰かが言ったが私もそう思った。



入口入って右側が日本画、左側が洋画の展示それぞれ40枚づつ展示されている。すごい大きな絵で、著名人のものばかりだそう。明治天皇の歴史をずっとなぞる作品ばかり。様々な逸話を先生から聞きながら拝見。この前に別室で聖徳記念絵画館の担当の方から絵画館の歴史をスライドを映写しながらお話を伺う。30分くらい?歴史の中に自分も生きているんだと感じてしまった。ずっと繋がってるんですねえ。
   

出てきたところにある「なんじゃもんじゃ」。建物の中はとても寒かった。


梅が綺麗だった。 「絵画館」という看板は大学の近くにもあり、こういう意味かとやっとわかった。絵画教室でもあるのかとずっと思っていたのよ。


ぼっち参加なので一番後ろを歩く。みんなさっとお仲間を作ってお喋りしながら歩いて偉いなと思う。
   

国会議事堂に似てると思った。歴史ある建物。焼夷弾が二発落ちたけれどレンガなので燃えずに済んだそう。近くにある慶応病院はその時木像だったので燃えてしまったとのこと。まるで三匹のこぶたのお話のよう。やっぱり家はレンガなんだと思った。
   

ネットの拾い画。どんな絵が保存されているかはサイトにもあまり掲載されていない。ボストン美術館のようにライブラリ形式で検索できるようにすればもっと一般の人や外国人ツーリストが観にくるんじゃないかと思った。
   
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これはサイトに掲載されていたものスクショ。こんな大作が80点。明治天皇が可愛がっていた馬の剥製などもあった。  


道路を挟んで反対側には京都造形芸術大学通信生のための外苑キャンパス。本当にすぐ隣だったが全然気が付かなかった。


青山方面に行くと銀杏並木。これは秋の頃の写真。

学友のIさんに撮って貰った。この後青山駅の構内にある銀座ライオンで色々話し、暮の懇親会でコスプレをしようと思い立ち、あの大惨事が起こった。皆驚かせてしまったが、今思えばいい思い出になってる。みんなもそうでしょ?

先日いった明治神宮にも繋がっている明治神宮外苑、聖徳記念絵画館、そして京都造形芸術大学外苑キャンパス。学舎の中にある桜が枯れかけていて、樹医にみせたらどうかとお節介を焼いて「御神木だからお前がなんかいうのは筋違い」と注意されたことがあるが、なんとなくやっと意味がわかった。明治神宮外苑に大学の校舎を作ったということなのですね。

「学習相談会」と言うのは個別で相談するのではなく、大きな教室に各コースが集まり、ああでもないこうでもないとお話するものだった。五人の生徒のうち三人がこの春の卒業生で、特に質問というより文芸のトレンドや京都の街の話など。

文芸コースの先生はクルーソー先生と私の副担任の先生が参加された。コース別に別れた後は、先生二人に生徒五人という贅沢な会となった。本年度の都をどりは祇園甲部株練習場の修復工事のため、なんと京都造形芸術大学の春秋館というところで全日程やるそう。この話ももっとよく聞けば良かった。本当にお金のある大学だなと感心してしまった。私みたいな庶民には似合わなかったということだろうか。そう考えると色々チグハグになったことも納得できる気がした。 

茶話会最初にひとりひとり簡単な自己紹介をということで、私は卒業後は芥川賞を目指すと話したら、シーンとなるかと思ったら割と好意的な空気がかえってきて、良かったなと思った。先生も授賞式には呼んで下さいねなんて、当然主担任と副担任の先生はお招きしますので楽しみにお待ち下さい

NHKの関係で色々話をして、本物のタワマンとは一体なんなのか自分も興味を持った。思えば豊洲にあるタワマン、昔からあるシエルタワーは何度かお邪魔したことはあるが、他のタワマンは行ったことがない。さすがママ友ゼロだとまた感心してしまった。でも自分の小説を完成させるとか、番組協力のために一度見てみたいと思った。つてを当たってあのタワマンを案内してくれるという人に行きあたった。さすがママ友ゼロだが顔は広くなったものだとまた感心してしまった。

そういう訳で豊洲で一番新しくて巨大なタワマン、確かかなり昔のブログでも紹介したことがあり、その時はまだ建設中だった。探してみたら確かにあった。普通に紹介していた記事の方を貼ってみる。もう一件紹介している記事もあったと思う、そちらには「巨大なママ友製造マシン」と紹介した。多分あのマンションの中で色々苦労している方もみえるのだろうと想像する。「ママ友なんて期間限定のご近所付き合い。あまり深入りせず適当にしたほうがいいですよ。今日のママ友は明日の敵、いったん仲が悪くなると修復は絶対不可能ですからね」

skyz

あの時のブログを読むと、色々と躊躇しながらそおっと書いていたことがわかる。こんな事書いていいのだろうかとか、豊洲のイメージダウンにならないかとか、マンションデベからクレームがきたらどうしようとか。それが今や築地移転の豊洲市場の問題で豊洲はかなりイメージダウンしている。でも住むには便利で楽しい街として、販売されるマンションは全て完売している。もういい加減供給もストップするだろうと思いきや、豊洲公園の前の空き地、以前は横峯式保育園とヤマトの配送センターがあったところ、今巨大な更地になっているが、ここにもマンションが出来るそう。もう本当に豊洲は美味しい街なのだろうと感じた。



夕闇迫る豪華なタワマン。この護岸は水陸両用車が運行する予定になっているが、豊洲市場が難航しているせいでその計画もストップしている。
   


こちらがSKYZスカイズの方。巨大なタワマン。1110戸44階建て地下2階
   


こっちがBAYZベイズと言われる方。SKYZの後完成。BAYZについては豊洲の有名人的なこの人のブログを貼る。


二つのマンションを挟む道路。
   




ロビーってどこのマンションもゲームする子どもしかいないよね。

 
あちらこちらにこうしたスペースが。


マンションの中にファミマがあった。ららぽーとに隣接しているパークシティにはローソンが入っている。TOYOSUタワーにはセブンイレブンが入っているらしく、何か協定でもあるのだろうか。


一階の通路。メインエントランスじゃない出口が気になり案内して貰った。   


西側の出口からはエレベーターで歩道橋に繋がり、ゆりかもめの「新豊洲駅」直結だそう。奥にみえる建物は東京ガスの本社。次の駅は「市場前」となっていて、東京ガスの跡地に豊洲市場を作ったので色々出てくると言われている。豊洲市場やるかやらないか、もう間もなく答え出るんじゃないでしょうか。


パーティルームのひとつ。こういう独立したパーティスペースがたくさんあった。いっそのことここで「豊洲西こども食堂」やればいいと思った。私のこども食堂のコンセプトは「ママ友付き合いで苦労しているぼっち救済」こういう駅や街の中心部からちょっと離れた巨大タワマンは、苦労していそうな人がいっぱいいそうだと感じた。


テラスにバーベキューの出来るスペースが。いつも予約でいっぱいらしい。


ゲームをしている子ども達がいたサロンを裏から見たところ。

   


スタディルームもある。いいですね!使用料は無料のせいか、時々外部の人が入り込み困るそう。えーそんな人いるんだ!豊洲図書館に行けばいいのに。というか、こんなちょっと交通が不便なよそのマンションまで来て一体なんのために。
   


パノラマ写真にしてわかりにくいけど、マンションの中心部が円形のエレベーターホールになっていて、階により使用するエレベーターが違う。卒論で書いた小説にも出てきます。主人公はボスママとエレベーターで鉢合わせをするのが嫌で、わざわざ低層階のエレベーターを使い、非常階段で家を出入りしています。ふふふ、実際ありそうでしょ。


40階くらい?高層階にあるロビー

   

そっからみた景色。レインボーブリッジが見えるから西方面。


綺麗すぎる。

 
南方面。青くみえるのがゲートブリッジ。私はここをドライブするのが大好き、思い出の橋でもある。こんな風にみえるんだと感慨深い。
    
    


広々しています。飲食禁止です。また別のロビー的スペース。こういう場所があっちもこっちにも。
    
    


裏からみたところ。何か注意が貼ってある。


スカイツリー方面、手前にららぽーと豊洲がみえます。東北方面。
    
    


東京タワー方面、北向き。



屋上です。もう絶景すぎて眩暈した。暗くて写らなかったけれど、この反対側の後ろに天体望遠鏡ドームがあった。そうそう、このマンションの天体望遠鏡ルームは「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記」で主人公の住む100年後のタワマンに天体望遠鏡ルームがある設定にしたのもこのマンションをヒントにしたのよ。

"エレベーターの中にチラシが貼ってあります。どうも最上階には天体望遠鏡があり、星を観測するイベントがあるようです。英語なので詳しくはわかりませんが、近々開催されるようです。"
『元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記「ママ友は友達?」』なんか初めてお邪魔したのに懐かしい気がしました。

 
         
キッズルーム、ひろおおおおおおおい!真ん中は畳敷き。


壁には大きな黒板が。上半分は素敵なイラスト、下半分は子ども達が自由に落書きが出来るそうです。

 
上層階にあるレストランに。マンションの中にレストランがあるんですよ、すごくないですか。パークシティの上層階にバーがあるのは知っていますがこちらはレストランが。でも豊洲駅からもちょっとあるし、飲食街からも少しあるのでそのせいかも。広い!
    
    


どこに座ってもいいそうです。
    
    


レストランの隣にオープンスペース的な個室が。貸し切りパーティなどをするそう。セレブウ!

    
    


お金持ちの図書ルームって感じね。ここもパティ―スペース。


素敵な絵。ロイヤルブルーが入ると絵が締まるわね。私も今度作品作る時はこの色をどこかに入れよう。カサブランカ、百合の花。ウェルカムゆり子ってことなのね、うんうん。


窓の外が気になる。また東京タワーをパシャリ
    
    


どれも美味しかった。アイスクリームは300円で三つも盛られていた。息子と半分こした。
    
    


どうもお邪魔しました。夜の全景。右端にみえるのは、芝浦工業大学の中高一貫校、この春オープンですってよ。お金かかりそうな私立は子どもを入れたくない。
    
    

 
楽しかった、「なんか別世界観ちゃったね!」と息子。私は脳内をずっとドヴォルザークの『新世界』が鳴り響いていた。
    
    


護岸を挟んで豊洲で一番大きな総合病院「昭和医大江東豊洲病院」最近この辺の人は聖路加ではなくここで赤ちゃん産むらしい。いいなー!私もここで産みたかった!!


ららぽーと豊洲のフードコートからSKYZ、BAYZ方面。燦然と輝くシャンデリアのようなマンション。機会があれば是非住んでみたいですね!どうもありがとうございました。




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